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声だけで世界一有名になったクジラ──「52ヘルツのクジラ」は本当に孤独なのか

生物・自然の奇妙公開 2026年6月27日更新 2026年9月19日ザツレコ編集部
声だけで世界一有名になったクジラ──「52ヘルツのクジラ」は本当に孤独なのか

姿を見せず声だけで世界的に有名になった「52ヘルツのクジラ」。米海軍SOSUSが拾った他種にない高さの歌声と、本当に孤独なのかを事実と諸説で解説します。

みなさんこんにちは、雑学レコードです。今回は、「世界一、孤独なクジラ」と呼ばれる一頭の話をしていきます。姿は、誰も見たことがありません。写真も、映像も、骨のかけら一つない。あるのは「声」だけ。しかもその声は、ほかのどのクジラとも違う、たった一つの高さで、北太平洋に響いている――。今日はそんな、海の底から届いた不思議な歌、「52ヘルツのクジラ」の物語です。聞き終えたあと、あなたはきっと、この一頭に自分をちょっと重ねたくなる。そして最後には、少しだけホッとできる。そんな雑学です。では、いってみましょう。

海の底から届いた、たった一つの声

まず、確かな事実から始めましょう。話は1989年、冷戦が終わりに近づいたころにさかのぼります。当時アメリカ海軍は、ソ連の潜水艦を探すため、海底に「SOSUS(ソーサス)」と呼ばれる巨大な水中マイクの網を張りめぐらせていました。その軍事用の耳が、潜水艦ではない、奇妙な音をとらえます。明らかにクジラの歌。でも、これまで記録されたどの種ともピタリと一致しない。

アメリカの名門、ウッズホール海洋研究所(Woods Hole Oceanographic Institution)のチームがこの声を確認すると、翌1990年、91年と、同じ歌が繰り返し聞こえてきました。そして冷戦が終わった1992年、海軍はこの極秘システムの一部を、研究用に開放します。潜水艦を追うための道具が、一頭のクジラを追いかける道具に変わった瞬間でした。

設計図にない、52ヘルツという高さ

では、何がそんなに「奇妙」だったのか。鍵は、声の高さ──周波数です。シロナガスクジラ(blue whale)の歌は、だいたい10から39ヘルツ。ナガスクジラ(fin whale)は20ヘルツあたり。どちらも人間の耳ではほとんど聞き取れないほどの、地を這うような超低音です。

ところが、この謎のクジラの声は、52ヘルツ。ピアノでいえば、いちばん低いほうの「ソ♯」あたりにあたる音です。クジラの世界では、これは異常な高さでした。たとえるなら、みんなが低い声でぼそぼそ会話している集団のなかで、一頭だけが甲高い裏声で歌っているようなもの。歌い方のパターンも、ほかのクジラより短く、回数が多い。種類は分からないのに、声だけは、はっきりと「これは、あの一頭だ」と分かる。研究者たちにとって、それは指紋のように個性的な歌だったのです。

十二年間、声を追いかけた男

この声に取り憑かれた、一人の科学者がいます。ウッズホールの生物音響学者、ウィリアム・ワトキンス(William Watkins)。彼はSOSUSの記録を頼りに、この一頭の歌を、なんと十二年間も追い続けました。

データから見えてきたのは、律儀なまでの旅の習慣です。クジラは毎年、8月から12月ごろに北太平洋のマイクの範囲に現れ、1月から2月には、すっと範囲の外へ消えていく。北はアラスカのアリューシャン列島あたりから、南はカリフォルニア沖まで。一日に30から70キロを泳ぎ、ある年には一シーズンで1万キロ以上を旅していました。興味深いのは、その移動が、ほかのクジラの群れの動きとはまったく無関係だったこと。誰かについていくでもなく、ただ自分の時間割で、海をぐるりと回り続けていたのです。

そして確かな事実として、声は年々ほんの少しずつ低くなっていきました。これは、クジラが歳を重ねて成熟していくサインだと考えられています。つまりこの一頭は、ちゃんと生き延び、健康に大人になっていた。ワトキンスは2004年に亡くなりますが、その年、十二年分の記録をまとめた論文を発表しています。彼が遺した最後の仕事の一つが、このクジラの歌を追いかけた記録だったのです。

なぜ「世界一孤独」と呼ばれたのか

ここからが、このクジラが一気に有名になった理由です。考えてみてください。彼の歌は52ヘルツ。けれど、仲間であるはずのシロナガスやナガスは、もっと低い音でしか会話していません。もし彼らが15から30ヘルツあたりに耳を澄ませているなら、52ヘルツの呼びかけは、届かないか、届いても「自分たちの仲間の声」とは気づいてもらえないかもしれない──。

研究者のこの推測が、メディアを通じて「世界一孤独なクジラ」という物語になりました。毎年、誰にも届かないラブソングを歌い続け、一度も返事をもらえない一頭。実際、研究チームのもとには、耳の聞こえない人たちから「このクジラも、耳が聞こえないのではないか」という手紙が、何通も届いたといいます。自分の声が届かない感覚を、人々はこの一頭に重ねたのです。

ただ、ここは雑学として正直に付け加えておきます。「孤独」というのは、あくまで人間側の解釈にすぎません。クジラ本人が本当に寂しがっているのかどうかは、誰にも分からない、というのが正しいところです。

孤独じゃ、ないかもしれない

そして近年、この切ない物語に、別の角度から光が差します。まず、種類の謎について。ウッズホールの研究者たちは早くから、「体のどこかに生まれつきの違いがあるのか、あるいはシロナガスとナガスのあいだに生まれた“ハイブリッド”、つまり異種交配の子なのではないか」と推測してきました。

実際、2021年に公開されたドキュメンタリー映画『The Loneliest Whale: The Search for 52』は、俳優のレオナルド・ディカプリオらが製作に名を連ね、カリフォルニア沖でこのクジラを探す航海を追いました。映画の終盤には、シロナガスとナガスの“雑種”とみられるクジラの貴重な映像が映し出されます。これがあの声の主ではないか、というわけです。ただし、これも「決定的に証明された」わけではなく、あくまで有力な仮説の一つ、というのが正確なところです。

さらに、もっと大事な手がかりがあります。2010年、カリフォルニア沖のセンサーが、同じ52ヘルツの声を、別々の場所で“同時に”とらえたのです。これはつまり、52ヘルツで歌うクジラは、一頭ではないかもしれない、ということ。世界一孤独だと思われていたあの声には、もしかすると、応えてくれる相手がいるのかもしれません。

私たちが、クジラに自分を重ねるとき

不思議なのは、はっきりした正体が分からないままに、この一頭が世界中の心をつかんだことです。韓国のグループBTSは「Whalien 52」という曲で、このクジラを、周りにうまく声が届かない若者の比喩として歌いました。日本でも、町田そのこさんの小説『52ヘルツのクジラたち』が大きな反響を呼び、2024年には映画にもなっています。みんな、このクジラに「声が届かない、どこかの誰か」の姿を見ているのです。

でも、思い出してください。彼は、弱ってもいなければ、道に迷ってもいませんでした。毎年きちんと旅をして、健康に大人になり、自分の歌を、何十年も歌い続けている。たとえ返事がなくても、歌うのをやめなかった。そう考えると、「世界一孤独なクジラ」は、ちょっと見え方が変わってきませんか。

まとめ

姿を一度も見せないまま、声だけで世界的に有名になった、52ヘルツのクジラ。種類も分からず、本当に孤独なのかどうかも、結局のところは分かりません。それでも確かなのは、北太平洋のどこかで、いまもその少し高い歌が響いている、ということです。そしてその声は、もしかするともう一頭に、ちゃんと届いているのかもしれない。あっても無くても人生に影響のない無駄知識──でも、なんだか今夜は、海の音にちょっとだけ耳を澄ませたくなる。そんな、一頭のクジラの話でした。

出典・参考情報

  • William A. Watkins et al. "Twelve years of tracking 52-Hz whale calls from a unique source in the North Pacific", Deep-Sea Research Part I(2004
  • 一次・査読論文)…信頼度A
  • Woods Hole Oceanographic Institution(WHOI)技術報告・Oceanus記事 …信頼度A
  • The New York Times "Song of the Sea, a Cappella and Unanswered"(2004)…信頼度A
  • New Scientist "Lonely whale's song remains a mystery"(2004)…信頼度B
  • Smithsonian Magazine "Maybe the World's Loneliest Whale Isn't So Isolated, After All"(2015)…信頼度B
  • The Washington Post "The loneliest whale in the world?"(2017)…信頼度B
  • ドキュメンタリー『The Loneliest Whale: The Search for 52』(Joshua Zeman監督, 2021)…信頼度B
  • Wikipedia「52-hertz whale」…信頼度B

※ クジラの「種類」「ハイブリッド説」「複数個体の存在」はいずれも有力な仮説・解釈であり、確定した事実ではありません。「孤独」という表現は人間側の解釈です。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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