未解決事件・失踪

最後の言葉は、数字だった――アメリア・イアハート失踪89年と、ラグーンに写る14メートルの影

未解決事件・失踪公開 2026年8月13日更新 2026年9月20日ザツレコ編集部
最後の言葉は、数字だった――アメリア・イアハート失踪89年と、ラグーンに写る14メートルの影

1937年7月2日午前8時43分、太平洋の真ん中で、一人の女性パイロットが無線にこう吹き込んだ。「われわれは157/337の線上にいる」。それが、アメリア・イアハートの最後の確認された言葉になった。以来89年。2026年10月、16人のチームが南太平洋の無人島ニクマロロへ向かう。衛星写真に写る長さ14メートルの影が、彼女の機体なのかを確かめるために。事実と諸説を分けてたどる。

最後の言葉は、数字の羅列だった

1937年7月2日。アメリア・イアハート(Amelia Earhart)と航法士フレッド・ヌーナン(Fred Noonan)は、ニューギニアのラエを飛び立ちました。世界一周飛行の、残りわずかという区間です。機体はロッキード・エレクトラ10-E。目的地は、太平洋のど真ん中に浮かぶハウランド島でした。

この島がどれくらい小さいかというと、長さがおよそ2キロ、幅が600メートルほど。標高は最高でも数メートル。ラエからの距離は約4100キロあります。つまり、4100キロ飛んで、水平線の向こうにほとんど何もない平たい砂州を一発で当てなければならない。当時の航法は、六分儀と時計と推測航法が主役です。

島の沖には、アメリカ沿岸警備隊の巡視船イタスカ(Itasca)が待機して、煙を上げながら無線で誘導しようとしていました。ところが、この誘導がうまくいきません。記録に残るやりとりを追うと、イタスカ側はイアハートの声を受信できているのに、イアハート側にはイタスカの声が届いていない、という状態が続きます。周波数の設定と、機体側の受信アンテナの状態に問題があった、というのが現在のおおむねの見方です。

午前7時42分、彼女の声が入ります。要旨は「そちらの上空にいるはずだが、見えない。燃料が残り少ない」。そして午前8時43分。「われわれは157/337の線上を走っている」。これは航法の用語で、太陽の位置から出した「この線のどこかに島がある」という一本の線のことです。北北西と南南東を指す、まっすぐな線。彼女は、その線の上を行ったり来たりして島を探していた、ということになります。

そこで、通信は途切れました。

アメリカ海軍と沿岸警備隊は、当時としては史上最大規模の捜索を行います。戦艦、空母、駆逐艦、そして数十機の航空機。約25万平方キロの海域が調べられました。何も見つかりませんでした。1937年7月19日に公式の捜索は打ち切られ、1939年1月5日、イアハートは法的に死亡と宣告されます。

1940年、島で見つかった骨は「男」とされた

話はここから、おかしな方向へ枝分かれします。

失踪から3年後の1940年。ハウランド島の南南東およそ640キロにある無人の環礁、当時のガードナー島(現在のキリバス共和国ニクマロロ島)で、イギリスの植民地当局の職員が人骨を見つけました。見つかったのは13片。近くには六分儀の箱、そして靴の破片がありました。

骨はフィジーへ送られ、1941年、医師D・W・フッドレスが計測して結論を出します。「がっしりした体格の男性のもの」。イアハートとは関係ない、と判断され、話はそこで終わりました。そして、その骨自体は、その後どこかへ紛失してしまいます。現在も見つかっていません。

ところが2018年、テネシー大学の法人類学者リチャード・ジャンツが、フッドレスの残した計測値のほうを現代の手法で解析し直します。骨そのものはもう無いので、数字だけを使った再検証です。結論は「イアハートの既知の体格と、参照集団の99パーセントよりもよく一致する」。1941年の判定を、80年近く経ってからひっくり返した形になりました。

ただし、ここは慎重に扱うべきところです。原資料の骨が現存しない以上、この再解析は「当時の計測が正確だった」という前提の上に立っています。反論もあります。この環礁には難破船の生存者や入植者が滞在した記録もあり、他人の骨である可能性を完全に排除はできません。断定できる材料ではない、というのが公平な整理です。

一方で、同じ島から出てきた物のほうは、少し不思議です。1930年代のものと見られる女性用の靴、コンパクトの容器、そばかす取りクリームの瓶、薬瓶。無人島に、女性用の化粧品が落ちている。もちろん偶然の可能性はありますが、揃い方が妙だとは言えます。

そしてもう一つ。失踪の3か月後、1937年10月にこの島の礁を撮った写真の中に、水面から突き出した金属質の何かが写っている——これは「ベヴィントン・オブジェクト」と呼ばれ、エレクトラの着陸脚ではないかという説が長く議論されてきました。

ラグーンに写る、14メートルの影

そして、いま話の中心にあるのが「タライア・オブジェクト(Taraia Object)」です。

これは、ニクマロロ島のラグーン(環礁の内側の浅い水域)に写っている、飛行機のような形の影のこと。2020年に衛星画像の中から見つかりました。長さはおよそ12〜14メートル。イアハートのエレクトラ10-Eの胴体長は12.2メートルです。

調査を主導するアメリカの非営利団体「考古学レガシー研究所(ALI)」は、2009年から2024年までの衛星データを比べ、この影が形も大きさもほとんど変わらずに同じ場所にあり続けていると報告しています。さらに、1938年に撮られた当時の写真にも同じ位置に何かが写っている、としています。

ALIとパデュー大学は2025年にこの調査計画を発表しましたが、キリバス政府の許可の関係で延期されていました。それが2026年7月24日——アメリア・イアハートの129回目の誕生日にあたる日——に、キリバス閣議の承認を得て正式に再始動すると発表されます。

日程はこうです。10月3日、一部のメンバーがパデュー大学空港の「アメリア・イアハート・ターミナル」から出発。10月6日にキリバスの首都タラワで16人全員が合流し、10月7日に海路で出発。約830海里、およそ1500キロを航海してニクマロロへ入り、数日かけて調査する。方法は、ドローンによる地図作成、ソナー、水中カメラ、金属探知機、そして水圧式の掘削機でタライア・オブジェクトの周りの堆積物を少しずつ取り除く、というものです。

ちなみに、なぜパデュー大学なのか。イアハートは1935年からこの大学に、女性のキャリア相談員および航空工学科の顧問として在籍していました。そして、彼女が「空飛ぶ実験室」と呼んだあのエレクトラの購入費を出したのが、パデュー・リサーチ・ファウンデーションです。彼女は世界一周のあと、この機体を大学に返すつもりでいました。89年遅れの返却を、大学自身が探しに行く、という構図になっています。

「岩でした」の一報

ここで、もう一つの有力説の顛末に触れておきます。

イアハート失踪の説明として、実はいちばん素直なのは「燃料が尽き、ハウランド島の近くの海に墜落してそのまま沈んだ」というものです。研究者のあいだでは「墜落・沈没説」と呼ばれ、装備と燃料の計算から見て、これが最も無理のない説明だと考える人は少なくありません。

2024年1月、サウスカロライナ州の探査企業ディープ・シー・ビジョン社が、この説にもとづく捜索の成果として一枚のソナー画像を公表しました。水深およそ5000メートルの海底に、翼と胴体を持つ飛行機のような形が写っています。世界中のニュースが飛びつきました。

同社は同年11月、無人潜水機を真上まで下ろして高解像度で撮り直します。結果の発表は簡潔でした。「残念ながら、われわれの対象はアメリアのエレクトラ10-Eではなかった。ただの自然の岩でした」。

このとき最初から懐疑的だったのが、ニクマロロ説を長年推してきた団体TIGHARの創設者リック・ギレスピーです。彼は公表直後の時点で「あれが何であれ、ロッキード・エレクトラではないことだけは確かだ」と語り、ソナー画像の解釈の難しさと、パレイドリア——雲が顔に見えるように、ランダムな模様の中に見慣れた形を見てしまう心理現象——を指摘していました。結果として、彼のほうが当たったわけです。

もっとも、彼が推すニクマロロ説のほうも、これまで何度も「決定的証拠」と呼ばれた材料を後から取り下げてきた歴史があります。この分野には、そういう相互批判の伝統があります。だからこそ10月の調査は、実際に潜って触るという点で、ずいぶん違う種類の答えを出してくれるはずです。

消えた人ほど、話は増える

最後に、この89年で積み上がった「説」を、事実と分けて整理しておきます。

まず、日本軍がイアハートを捕らえた、という説。太平洋戦争の記憶と結びついて、アメリカで長く流通してきました。ただし、これを裏づける一次文書はこれまで確認されていません。2017年にはアメリカのテレビ番組が「マーシャル諸島の桟橋にイアハートとヌーナンが写っている」とする写真を紹介して大騒ぎになりましたが、放送の直後、日本のブロガーが同じ写真を1935年刊行の日本の写真集の中から見つけ出しました。失踪の2年前の写真だったわけです。番組側の主張は成立しなくなりました。

次に、「イアハートは生きて帰国し、別名で暮らしていた」という説。これも1960年代から繰り返し登場していますが、本人とされた女性が明確に否定しており、記録上の裏づけもありません。

こうした説がなぜ増えるのか。理由は単純で、答えが出ていないからです。遺体も機体も、まだ一つも出ていない。空白は、何を入れてもとりあえず形になってしまう。ジャンツの再解析も、ベヴィントン・オブジェクトも、タライア・オブジェクトも、現時点では「そう見える」という段階の材料であって、確定した事実ではありません。そこは混ぜずに置いておくのが、この話のいちばん誠実な扱い方だと思います。

まとめ

数字で締めます。

飛んだ距離、約4100キロ。目標だった島の長さ、約2キロ。最後の通信、1937年7月2日午前8時43分。捜索された海域、約25万平方キロ。見つかったもの、ゼロ。

1940年に骨が13片、六分儀の箱が一つ、靴の破片。1941年の判定は「男性」、2018年の再解析は「イアハートに極めて近い」。そして2020年、ラグーンに長さ12〜14メートルの影。エレクトラの胴体は12.2メートル。

2026年10月7日、16人がタラワを出港します。彼らが持っていくのは、ドローンとソナーと金属探知機と、堆積物を吹き飛ばすための水圧ポンプです。89年間、誰も触ったことのないものに、初めて手が届くかもしれない。

もっとも、これまで何度も「今度こそ」と言われては、そのたびに岩だったり木の根だったりしてきた話でもあります。過度な期待は禁物ですが、10月には何らかの答えが出る。それだけは確かです。

あっても無くても人生に影響のないムダ知識、インストール完了です。

出典・参考情報

  • [A] Purdue University Newsroom「ALI, Purdue expedition to search for Amelia Earhart’s plane will depart in October」(2026年7月24日)
  • [A] Archaeological Legacy Institute / The Archaeology Channel「Taraia Object Expedition」
  • [A] Purdue Research Foundation「Amelia Uncharted 遠征ページ」
  • [A] U.S. Coast Guard / USCGC Itasca 無線通信記録(1937年7月2日)
  • [B] CNN「Amelia Earhart mystery: New clues spark expeditions that hinge on rival theories」(2025年)
  • [B] CNN「Sonar imagery that looked like Amelia Earhart’s plane was actually a natural formation of rocks」(2024年11月)
  • [B] NBC News「Image believed to show Amelia Earhart’s plane was a rock formation, not crash site」(2024年11月)
  • [B] Richard L. Jantz「Amelia Earhart and the Nikumaroro Bones: A 1941 Analysis versus Modern Quantitative Techniques」Forensic Anthropology(2018年)
  • [B] The Post and Courier「Possible find of Amelia Earhart’s plane generates debate」
  • [B] HISTORY「Amelia Earhart’s Disappearance: 3 Leading Theories」

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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