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午前4時50分、国じゅうの車がいっせいに止まった――一夜で通行を右に変えた日、事故はなぜ減ったのか

雑学・トリビア倉庫公開 2026年9月2日更新 2026年9月19日ザツレコ編集部
午前4時50分、国じゅうの車がいっせいに止まった――一夜で通行を右に変えた日、事故はなぜ減ったのか

1967年9月3日午前5時、スウェーデンは左側通行をやめて右側通行になった。午前4時50分に国じゅうの車がいっせいに停止し、10分かけて反対側へ移る。ただし1955年の国民投票では82.89パーセントが反対していた。35万本の標識が架け替えられ、路面電車は消え、ロゴは牛乳パックから下着にまで刷られた。そして当日の事故は平均的な日曜より少なく、保険金請求は4割減った。ところが6週間で元に戻り、1969年には事故率も完全に戻っている。減った理由は道路ではなく、人が怖がったからだった。

今日は9月3日です。1967年の今日、スウェーデンでは、国じゅうの車がいっせいに道路の反対側へ移動しました。

午前4時50分、道路を走っていたすべての車が完全に停止します。そこから10分かけて、左側からそろそろと右側へ移り、もう一度止まる。そして午前5時、いっせいに発進しました。この10分間で、スウェーデンは左側通行の国から右側通行の国になったのです。

呼び名は「ダーゲンH(Dagen H)」。Hはスウェーデン語で右側通行を意味するHögertrafikの頭文字で、正式には「右側通行への切り替え(Högertrafikomläggningen)」といいます。スウェーデン史上、最大の物流イベントと呼ばれています。

面白いのはここからです。この日の事故は、平均的な日曜日より少なかった。翌日の月曜も少なく、死亡事故はゼロでした。保険金の請求は4割減りました。

そして6週間で、きれいに元へ戻ります。

午前4時50分、国じゅうの車がいっせいに止まった

まず、その夜に何が起きたのかを追いかけます。

1967年9月3日は日曜日でした。午前1時から午前6時まで、緊急車両などを除く全車両の通行が禁止されます。それでも道路上にいた車には、はっきりした手順が指示されていました。午前4時50分に完全停止。そのまま慎重に右側へ移動して、もう一度停止する。ここでもう一度止まるのがミソで、全員が移り終わるのを待つことで、正面衝突を防ぐ設計になっています。そして午前5時、走り出してよい。

ストックホルムとマルメでは、規制はもっと長く敷かれました。土曜の午前10時から日曜の午後3時まで、丸一日以上です。交差点の作り替えに時間がかかるためでした。ほかにもいくつかの都市が、土曜午後3時から日曜午後3時までの延長規制になっています。

一方通行の道は、それだけで難題でした。バス停は道路の反対側に作り直さなければならず、交差点は合流の形からやり直しです。

つまり「みんなで右に寄った」という牧歌的な話ではありません。国が丸ごと、一晩で裏返ったのです。

国民の83パーセントは「変えるな」と投票していた

ここで重要な事実があります。スウェーデン国民は、この変更を望んでいませんでした。

1955年10月16日、この件について国民投票が行われています。結果は、賛成15.50パーセント、反対82.89パーセント。実数でいえば賛成40万61票に対し、反対213万9996票。投票率は53.18パーセントでした。圧倒的な拒否です。

それでも8年後の1963年5月10日、議会は当時のターゲ・エランデル首相の提案を可決し、1967年からの右側通行を決定しました。国民投票は法的拘束力を持たない諮問型だったからです。背景には欧州評議会と北欧理事会からの働きかけもありました。

当時、国内の自動車は50万台から150万台へ3倍に増えており、1975年には280万台に達すると見込まれていました。やるなら早いほうがいい、という判断が働いています。

つまりこれは、国民が反対した政策を政府が押し切った事例でもあります。あとから「大成功だった」と語られる出来事の入口が、圧倒的な民意の否定だったというのは、なかなか居心地の悪い事実です。

左側通行の国なのに、車の9割は左ハンドルだった

では、なぜそこまでして変えたのか。理由は主に二つあります。

一つ目は、地続きの隣国です。ノルウェーとフィンランドはどちらも右側通行で、国境を越える車は年間500万台にのぼっていました。国境で通行区分がひっくり返る、というのはそもそも危ない。

二つ目のほうが、はるかに強烈です。当時のスウェーデンでは、9割以上の車が左ハンドルでした。左側通行の国なのに、運転席が左にある。これは最悪の組み合わせです。対向車線にはみ出して追い越すとき、運転手は道路の中央から最も遠い位置に座っていることになり、前方がまるで見えません。狭い2車線道路での正面衝突が多発していました。

ちなみに、当時のルールどおり右ハンドルだった数少ない例外が、市バスでした。国じゅうの乗用車が「間違った側」に座り、バスだけが正しかったわけです。

もう一つ、あまり語られない事情もありました。ヘッドライトです。左側通行用のライトは右側通行では対向車を照らしてしまうため、全車の交換が必要になります。当時のスウェーデンの車の多くは、安価な規格品の丸型ライトを使っていました。しかし欧州大陸では、すでに車種ごとの専用ライトが主流になりつつあった。先延ばしにすればするほど、国民一人あたりの交換費用が跳ね上がる。やるなら安いうちに、という計算です。

牛乳パックにも下着にも、ロゴが刷られた

決定から実施まで4年。この間に走ったのが、おそろしく徹底した周知キャンペーンでした。

国は「右側通行導入国家委員会(HTK)」を設置し、心理学者の助言を受けて4年がかりの教育プログラムを組みます。ダーゲンHのロゴ――赤地に白い矢印のあれです――は、あらゆる場所に印刷されました。牛乳パック、手袋、ステッカー、そして下着にまで刷られています。朝食のテーブルでも、着替えのときでも、目に入る。

テレビ局は、この改革をテーマにした歌のコンテストまで開きました。優勝したのは「Håll dig till höger, Svensson」。訳せば「右側にいろよ、スヴェンソン」。スヴェンソンはスウェーデンでいう「山田さん」のような、ごく平凡な名字です。作詞は夕刊紙エクスプレッセンの記者ペーテル・ヒンメルストランド、演奏はザ・テルスターズというバンドでした。国民が反対した政策を、ポップスにして国民に歌わせたわけです。

やり口としては露骨ですが、効果はありました。当日、右側に寄るべきだと知らなかったスウェーデン人は、事実上いなかったのです。

黒いビニールをかぶせた標識と、消えた路面電車

物理的な準備も、けた違いでした。

すべての交差点に、右側通行用の信号柱と信号機がもう一組、あらかじめ設置されます。ただし当日まで使ってはいけないので、黒いビニールで包んでおく。当日の早朝、作業員が街じゅうを回って、そのビニールを剥がしていきました。

道路にも、右側通行用の車線が並行してもう一組ペイントされ、その上に黒いテープが貼られています。ついでに線の色も変わりました。それまでスウェーデンの道路標示は黄色だったのですが、この機に白へ切り替わっています。

交換または撤去された標識は、およそ35万本。ストックホルムだけで2万本ありました。

そして最大の犠牲者が、路面電車です。ドアが左側にある車両は、右側通行では使えません。ストックホルム中心部、ヘルシンボリ、そしてマルメのほとんどの路線が廃止され、バスに置き換えられました。右側にドアのある新型バスが1000台以上購入され、古いバス約8000台は両側にドアを付ける改造を受けています。ヨーテボリとマルメは、行き場を失った左側通行用バスをパキスタンとケニアへ輸出しました。

一方で、鉄道とストックホルムの地下鉄は切り替えていません。線路の上は今も左側通行のままです。国じゅうの道路をひっくり返した国が、レールだけは放っておいた。

ちなみに北欧では翌1968年5月26日、アイスランドが同じことをやっています。こちらは「H-dagurinn」と呼ばれました。

事故は本当に減った。ただし六週間だけ

さて、結果です。

ダーゲンH当日に報告された事故は157件。うち人身事故は32件で、重傷はごくわずかでした。平均的な日曜日より少ない数字です。翌日の月曜は125件。それ以前の月曜が130件から198件のあいだだったことを考えると、やはり少ない。しかも死亡事故はゼロでした。

その後も、正面衝突と対歩行者の死亡事故は目に見えて減り、自動車保険の請求件数は4割落ちました。

ここまでが事実です。ここから先は解釈になります。

専門家が挙げる理由は二つあります。一つは物理的なもので、もともと左ハンドル車だったスウェーデンの運転手は、右側通行にした瞬間に追い越し時の視界が良くなった。これは理にかなっています。

もう一つが、より本質的な説明です。人々が「今日は危ない」と本気で思ったから、というものです。実際の危険度を上回るほどリスクを高く見積もった結果、極端に慎重な運転をした。速度を落とし、車間を空け、無理な追い越しをしなかった。

この説明の説得力を裏づけてしまうのが、その後の経過です。保険金請求の件数は、6週間ほどで元の水準に戻りました。そして1969年には、事故率そのものが変更前の水準へ完全に戻っています。イギリスの研究者ジョン・アダムスらが「リスク補償」や「行動適応」の代表例として繰り返し取り上げてきた事例です。

つまり、道路が安全になったのではありませんでした。人間が2か月だけ慎重になっただけだった。

安全対策として本当に効いたのは、道路の右側でも左側でもなく、「今日は危ない」という感覚そのものだったことになります。そしてその感覚は、慣れとともに消えます。

沖縄にも、同じ夜があった

最後に、日本の話をしておきます。日本にも一度だけ、同じことが起きています。

1978年7月30日、沖縄県が右側通行から左側通行へ切り替えました。実施日にちなんで「ナナサンマル(730)」と呼ばれています。

沖縄はアメリカ施政権下で長く米国式の右側通行を採用しており、1972年の本土復帰後もそれが続いていました。他の46都道府県と逆だったわけです。7月29日の午後10時、サイレンを合図に全県での車両通行止めと切り替え作業が始まり、翌30日の午前6時に完了しました。スウェーデンとちょうど逆向きの、8時間の作業です。

ここでも路線バスが問題になりました。乗降口が右側にあるバスは、左側通行では使えません。県内の各バス会社は左側通行用の新車を大量に導入することになり、当時投入された車両は「730バス」と呼ばれて、いまも一部が現役で走っています。

一夜で国や県の通行区分を変えるという荒業を、人類は少なくとも数回、成功させています。ただしスウェーデンのデータが示しているのは、その成功が「安全になったこと」を意味するとは限らない、という少し苦い事実のほうです。

まとめ

1967年9月3日午前5時、スウェーデンは左側通行をやめて右側通行になりました。国民投票では82.89パーセントが反対していましたが、議会が押し切りました。準備には4年かかり、35万本の標識が架け替えられ、路面電車は消え、ロゴは下着にまで印刷されました。

当日の事故は157件で、平均的な日曜より少なく、保険金の請求は4割減りました。ここまでは事実です。

ただし6週間で保険請求は元に戻り、1969年には事故率も完全に戻りました。減った理由は道路の構造ではなく、人が怖がったからだ、というのが専門家の見立てです。

怖いと思っているあいだ、人間は安全に運転できる。慣れたら元に戻る。これは、たぶん車に限った話ではありません。

59年前の今日、午前4時50分。国じゅうの車がいっせいに止まった10分間は、おそらくスウェーデン史上もっとも安全な10分間でした。

出典・参考情報

  • [A] Statistics Sweden(統計庁)「Folkomröstningar 1922-2003」(1955年10月16日の国民投票結果。賛成15.50%/反対82.89%/投票率53.18%)
  • [A] Riksdag(スウェーデン議会)議事録(1963年5月10日、エランデル首相提案の右側通行導入案を可決)
  • [A] 沖縄県公文書館「1978年7月30日 7・30(ななさんまる)交通方法変更」(7月29日22時からの規制開始と30日午前6時の完了)
  • [B] Time誌「Switch to the Right」1967年9月15日号(4年間の教育プログラム、牛乳パックや下着へのロゴ印刷、左ハンドル比率)
  • [B] The Herald(グラスゴー)1967年9月4日「Sweden Makes Change-Over to Driving on Right」(当日の時間帯規制と手順)
  • [B] Montreal Gazette 1967年9月5日「Swedish Motorists Move To Right」(当日157件・人身32件、翌月曜125件)
  • [B] The Guardian「Dagen H: the day Sweden switched to driving on the right – archive, 1967」
  • [B] Expressen「Så gick det till när Sverige fick högertrafik」(優勝曲と作詞者、当日の経緯)
  • [B] John Adams『Risk and Freedom: Record of Road Safety Regulation』1985年(事故率が1969年に元の水準へ戻ったという分析)
  • [B] 『Behavioural Adaptation and Road Safety: Theory, Evidence and Action』CRC Press, 2013(リスク補償・行動適応の事例としてのダーゲンH)
  • [B] Report of the Fifth World Meeting of the International Road Federation, 1966(約35万本の標識交換、ストックホルム2万本)
  • [B] QAB琉球朝日放送「復帰50の物語 第29話『730』交通方法変更」(沖縄の切り替えとバスの更新)
  • [B] JAF Mate Online「右側通行を一夜でひっくり返せ! 1978年、沖縄『730』で何があったのか?」

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