未解決事件・失踪

灯台守が三人まるごと消えた フラナン諸島の灯台、1900年12月15日の空白

未解決事件・失踪公開 2026年8月1日更新 2026年9月20日ザツレコ編集部
灯台守が三人まるごと消えた フラナン諸島の灯台、1900年12月15日の空白

1900年12月、スコットランド沖の孤島フラナン諸島で灯台守3人が同時に消えた。灯台の中は完璧に片づき、光だけが11日間消えていた。監督官ミュアヘッドの報告書が示した結論と、後から詩人と雑誌が書き足した「食べかけの食事」「異常な日誌」の正体を、事実と創作に分けて追う。

1900年12月26日の昼下がり、スコットランド北西の荒れた海に、灯台補給船ヘスペラス号(Hesperus)が近づいていた。目指すのは、外洋にぽつんと浮かぶ岩の島、フラナン諸島のアイリアン・モア(Eilean Mòr)。ここには前年に灯された真新しい灯台があり、三人の灯台守が交代で守っているはずだった。ところが島には旗も揚がっておらず、汽笛を鳴らしても、サイレンを鳴らしても、返事がない。最後にロケット弾まで打ち上げたが、岩肌はしんと静まりかえったままだった。今日は、灯台守が三人まるごと消えた「フラナン諸島の謎」。有名すぎるがゆえに、後から尾ひれが山ほどついてしまった事件でもある。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていこう。

光が消えていた十一日間

まず、事の順序を整理しておこう。この灯台が点灯を始めたのは1899年の暮れ。大西洋から吹きつける波と風のなか、船乗りにとっては命綱のような光だった。異変を最初に見ていたのは、じつは通りかかった商船だった。1900年12月15日の深夜、蒸気船アークター号(Archtor)のホルマン船長がフラナン諸島の沖を通過したとき、あるはずの光が見えなかった。船長はそれを不審に思って記録に残している。ただ、この情報が灯台当局に届いたのは、三人の失踪が発覚したあとのことだった。陸側の見張りも空振りだった。当局は近くのウイグ村の猟場番人ロデリック・マッケンジーに、毎晩の点灯確認を頼んでいた。記録によれば、光は12月7日に見え、8日から11日は見えず、12日に見え、そこから26日まで一度も確認されていない。ところが霧の多い島では「四、五晩見えない」ことは珍しくなく、彼は不審に思いながらも通報していなかった。つまり光は十一日間も消えたままで、誰も動かなかったのである。

誰もいない灯台

12月26日、ヘスペラス号のハーヴィー船長は、ボートを下ろして交代要員の灯台守ジョゼフ・ムーア(Joseph Moore)を東の船着き場に上陸させた。ムーアが後に提出した報告書は、この事件のもっとも生々しい一次資料である。彼が坂を上っていくと、外門は閉まっていた。台所へ通じる扉も閉まっている。中に入って暖炉を見ると、火は何日も焚かれていない。部屋を順に覗くと、寝床は朝出ていったままの状態で空だった。彼はそれ以上調べる気になれず、走って船着き場へ引き返したという。あらためて仲間と灯室に上がってみると、そこはむしろ不気味なほど整っていた。ランプは磨かれ、油壺は満たされ、レンズも機械も清掃済み。ブラインドも下ろされている。台所の鍋も洗われ、片づけられていた。つまり、その日の午前中の仕事はすべて終わっていた。三人の灯台守――主任のジェームズ・デュカット(James Ducat)、第二補佐のトマス・マーシャル(Thomas Marshall)、そして病欠の同僚の代わりに入っていた臨時要員ドナルド・マッカーサー(Donald McArthur)――だけが、そこにいなかった。

そしてもうひとつ、時間そのものに関わる痕跡が残っていた。ムーアは、灯台の時計のねじが巻かれていないことに気づいている。26日にハーヴィー船長が本土へ打った電報にも、時計は止まっており、ほかの痕跡から見て事故が起きたのはおよそ一週間前と考えられる、と記されていた。灯台守にとって時計のねじを巻くのは、灯りを灯すのと同じ日課である。その時計が止まっていたという事実は、三人がいつ消えたのかを、当時の人々に最初に教えた手がかりだった。

西の船着き場に残されていた痕跡

灯台当局の監督官ロバート・ミュアヘッド(Robert Muirhead)が島に上陸したのは12月29日。彼が丹念に見て回った現場の記録は、この事件の核心にあたる。東側の船着き場は無傷だった。12月7日の交代作業のあとに巻いて収めたロープは、そのまま所定の位置にある。異常はすべて、西側に集中していた。海面からおよそ33メートル(110フィート)の高さ、岩の割れ目に固定してあった木箱が、まるごと消えていた。中に入っていた係留ロープや道具類は、下の岩場に散乱していた。ただし、ロープはどれも巻かれたままで、ほどけたものは一つもなかった。人が使おうとした形跡ではない、ということだ。船着き場へ続く通路の鉄柵は土台からもぎ取られ、何か所もねじ曲がっていた。1トンあまり(20ハンドレッドウェイト)もある巨石が、上の斜面から外れて通路の上まで運ばれていた。柵に結わえてあった救命浮環も消えていたが、ミュアヘッドが結び目を確かめると、ロープはほどかれた形跡がなく、そこには浮環の帆布の切れ端がへばりついていた。人が外したのではなく、柵の隙間を突き抜けた海水の力で、標高33メートルの位置から引きちぎられていたのである。

ミュアヘッド報告書の結論

服装も手がかりになった。デュカットは長靴に防水コート、マーシャルは長靴に油合羽。ムーアの証言では、この装備を身につけるのは船着き場に下りるときだけだった。つまり二人は、船着き場へ向かうつもりで小屋を出ている。一方、マッカーサーの外套は部屋に残されていた。彼はいつもこの一着しか羽織らなかったから、シャツ姿のまま飛び出したことになる。ミュアヘッドが1901年1月8日付で提出した報告書の結論はこうだ。三人は12月15日の午後、西の船着き場付近へロープの箱を確保しに下り、そこへ予想外に大きなうねりが島に乗り上げ、自分たちのいる高さよりさらに上まで駆け上がった海水が落ちてきて、抗いようのない力で三人をさらった――。彼は「風に吹き飛ばされた」可能性も検討したうえで、これを退けている。当日の風は西寄りで、もし風にさらわれたのなら、三人は島の内側へ吹き上げられ、頂上に達する前に伏せる余裕があったはずだ、というのが理由だった。なお、検察当局は正式な事故調査を不要と判断し、遺族には年金と見舞金が支給された。事件は「災害」として処理されたのである。

詩人がつくった「食べかけの食事」

ここまでが記録に残る事実だ。では、私たちがよく聞く「あの話」はどこから来たのか。カギは、1912年に発表されたウィルフリッド・ウィルソン・ギブソン(Wilfrid Wilson Gibson)の詩『Flannan Isle(フラナン島)』にある。この詩には、半開きの扉、手つかずのまま冷めた食事、ひっくり返った椅子といった、ぞっとする情景が描かれている。まるで三人が食事の途中で何かに連れ去られたかのような、忘れがたいイメージだ。ところが、灯台当局の公式記録にも当時の新聞にも、食べかけの食事も倒れた椅子も一行たりとも出てこない。むしろムーアの報告は、その日の炊事当番が鍋を洗い、台所を片づけ終えていたことを明記している。ここは押さえておきたいところで、これは事実ではなく創作である。にもかかわらず、詩のイメージのほうが記録よりはるかに強く、百年以上にわたって「実話」として語り継がれてきた。

存在しなかった日誌と、実在した巨大波

尾ひれはもう一つある。「灯台の日誌には異常な記述が残されていた」という話だ。曰く、猛烈な嵐、泣きだすマッカーサー、祈るデュカット、そして最後の一行「神はすべての上にある」。これも作り話とされる。フォーティアン・タイムズの記者マイク・ダッシュ(Mike Dash)が出所をたどったところ、この「日誌」を紹介した作家ヴィンセント・ガディスは、1929年8月のアメリカの雑誌『True Strange Stories』で読んだと述べていた。その記事の筆者とされる人物が実在した形跡はなく、根拠は「英国の資料による」の一言だけ。おまけに灯台の日誌は12月13日までしか清書されておらず、14日と15日の記録はチョークで石板に控えられていた。つまり、劇的な文章が書き込まれた「12月15日の日誌」そのものが存在しないのである。では真相は何だったのか。ミュアヘッドが挙げた「予想外に大きなうねり」は、当時こそ推測に過ぎなかったが、いまでは科学の言葉がある。孤立して突発的に立ち上がる巨大波、いわゆる異常波浪だ。長らく船乗りの与太話とされてきたこの現象は、1995年に北海のドラウプナー観測基地で計器に記録され、実在が確定した。標高33メートルの木箱を持ち去り、1トンの岩を動かした痕跡は、その説明とよく噛み合う。灯台守が三人まるごと消えた――この事実だけは、いまも動かない。けれど空白を埋めたのは、詩人と雑誌記者だった。謎そのものより、謎に人が何を書き足すかのほうが面白い。フラナン諸島の灯台は、そんな雑学の墓場にふさわしい一話である。

出典・参考情報

  • [A] Northern Lighthouse Board「Flannan Isles」(ヘスペラス号船長の電報・ジョゼフ・ムーアの書簡・ロバート・ミュアヘッド監督官の報告書 1901年1月8日付 全文)
  • [A] National Records of Scotland「Lighthouses 研究ガイド/Flannan Islands の謎」(北方灯台委員会記録 NLC2/1/88・NLC3/1/1、検察による事故調査不要の判断、遺族への年金・見舞金)
  • [B] History Hit / Sky HISTORY「The Flannan Isle Mystery」(事件の経緯とギブソンの詩による通俗化)
  • [B] Mike Dash(Fortean Times)による日誌の出所調査(1929年8月『True Strange Stories』/ヴィンセント・ガディス経由の伝播)
  • [B] Wilfrid Wilson Gibson『Flannan Isle』(1912年発表の詩。手つかずの食事・倒れた椅子の初出)
  • [B] ドラウプナー波(1995年1月1日、北海の観測基地で計測された孤立巨大波)に関する海洋物理学の報告

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。本記事は超常現象の実在を断定するものではありません。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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