1984年の春から1年半、日本中のお菓子売り場が「人質」に取られました。江崎グリコの社長が自宅から連れ去られたのを皮切りに、「かい人21面相」を名乗る犯人は食品会社6社を次々と脅し、警察と新聞社に、からかうような手紙を送り続けました。店の棚には毒の入ったお菓子が置かれ、捜査員の目の前には「キツネ目の男」まで現れました。それでも犯人は一度も捕まらず、2000年にすべての時効を迎えています。今回は、この事件を面白がるためではなく、何が起きたのか、なぜ捕まえられなかったのかを確かめ、そこから学ぶために振り返ります。分かっている事実と、伝えられている話とを分けながら、順にたどっていきましょう。

入浴中の社長が、裸のまま連れ去られた
すべての始まりは、1984年3月18日の夜、午後9時ごろでした。兵庫県西宮市にある江崎グリコの社長、江崎勝久さんの自宅に、銃を持った覆面の男たちが押し入ったのです。
男たちは、まず隣にある社長の母親の家に入り込んで鍵を奪い、それを使って社長宅に入りました。妻と長女を縛って閉じ込めると、入浴中だった江崎さんを、裸のまま外へ連れ出しました。
その夜のうちに、会社の役員に連絡が入り、公衆電話のボックスに置かれた手紙へと誘導されます。要求は、現金10億円と、金の延べ棒100キロ。日本の企業トップが、身代金目当てに自宅から誘拐されるという、前代未聞の事件でした。
江崎さんが見つかったのは、3日後の3月21日の午後です。大阪府茨木市、安威川沿いにある水防倉庫に閉じ込められていましたが、見張りがいないすきに、自力で抜け出しました。連れ去られてから、およそ65時間がたっていました。身代金は、1円も渡っていません。

「かい人21面相」の手紙は、警察を笑っていた
社長が無事に戻っても、事件は終わりませんでした。4月に入ると、江崎グリコの本社の敷地で車が燃やされ、塩酸の入った容器も見つかります。そして新聞社に、犯人からの手紙が届き始めました。
差出人の名前は「かい人21面相」。江戸川乱歩の小説に出てくる「怪人二十面相」をもじったものです。手紙はひらがなの多い関西弁で書かれ、捜査に追われる警察を「あほ」と呼んで笑うような調子でした。
警察への挑戦状、企業への脅迫状、報道機関への手紙。約1年半で届いたのは、合わせて144通にのぼったとされます。新聞やテレビがそれを伝えるたびに、事件はお茶の間の話題になりました。犯人は、子どもの声を録音したテープも使いました。取引の場所を伝える電話の向こうで、幼い声が指示を読み上げるのです。その声の主も、いまだに分かっていません。犯人が世間を観客にして、捜査と報道を舞台のように使う。この事件が「劇場型犯罪」と呼ばれるのは、そのためです。
5月には、グリコの製品に青酸を入れたとする脅迫が届き、グリコのお菓子は全国の店頭から一斉に姿を消しました。生産が止まり、パートの従業員が職を失うなど、被害は会社の外にまで広がっていきます。

「どくいり きけん」と書かれたお菓子
6月の終わり、犯人は手紙で「グリコはゆるしたる」と宣言します。ところが、狙いは別の会社に移っただけでした。丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋。脅しを受けた食品会社は、グリコを含めて6社になります。不二家には、大阪や東京のビルの屋上から現金をばらまけという、まるで見せ物のような要求まで届きました。
なかでも森永製菓への脅迫は、社会を大きく揺さぶりました。1984年10月7日から13日にかけて、大阪、兵庫、京都、愛知のスーパーやコンビニで、青酸の入った菓子が見つかったのです。その数は13個。箱には、「どくいり きけん」などと書かれた紙が貼られていました。
兵庫県西宮市のコンビニの防犯カメラには、菓子を棚に置いたとみられる、野球帽をかぶった男が映っていました。のちに「ビデオの男」と呼ばれる人物です。警察はこの映像を公開しましたが、男の身元は分かっていません。
翌1985年2月には、東京と愛知でも、青酸入りのチョコレートが見つかります。誰がいつ口にしてもおかしくない状況でした。食べて被害に遭った人が出なかったのは、店や家庭が警戒を強めていたことに加え、運も大きかったといえます。森永製菓とグリコは、この時期、テレビの広告を半年近く控えることになりました。

キツネ目の男は、捜査員の目の前にいた
犯人に、手が届きかけた瞬間は2度ありました。どちらも、現金を受け渡す取引の場面です。
1度目は1984年6月28日、丸大食品への脅迫でした。犯人は、高槻駅から京都方面へ向かう電車の窓から現金を投げるよう指示します。現金は投げられませんでしたが、張り込んでいた捜査員は、電車の中で社員役の捜査員をじっと観察する不審な男を目撃しました。鋭いつり上がった目をしたその男は、のちに「キツネ目の男」と呼ばれます。捜査員は追いましたが、男は人ごみに消えました。
2度目は11月14日、ハウス食品への1億円の要求です。受け渡しの指示は電話で何度も変えられ、最後は名神高速道路へと向かいました。犯人が合図に指定したのは、高速道路の防護フェンスに結びつけた白い布です。大津のサービスエリアで、捜査員は再びキツネ目の男を見ます。しかし、その場で職務質問をする判断は下されませんでした。合図の布は確かに結ばれていましたが、現金を置くはずの缶は見当たらず、捜査班は引き揚げを命じられます。
同じ夜、草津パーキングエリアの近くで、滋賀県警のパトカーが、ライトを消して止まっている白いライトバンを見つけます。警察官が近づくと、車は急発進して逃げました。乗り捨てられた車の中からは、警察の無線を聞くための受信機が見つかっています。滋賀県警には、この取引の作戦が十分に伝わっていなかったと報じられています。複数の府県警の連携が、ここで大きく問われることになりました。

「もお やめや」――終わりの手紙と、時効
1985年1月、警察はキツネ目の男の似顔絵を公開します。情報は大量に寄せられましたが、男にはたどり着けませんでした。この似顔絵と防犯カメラの映像は、いまも事件を象徴する姿として、繰り返し報じられています。
そして1985年8月7日、ハウス食品の取引の夜に犯人を逃がした滋賀県警の本部長が、退官の日に自ら命を絶ちました。その5日後の8月12日、犯人は最後の手紙を報道機関に送ります。「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」。食品会社への脅しをやめるという、一方的な終わりの宣言でした。手紙には、本部長の死に触れた言葉もあったとされています。
捜査は、その後も続きました。捜査に加わった警察官は、のべ約130万人。捜査の対象に挙がった人は、約12万5千人にのぼります。脅迫状は、事務用の和文タイプライターで打たれていました。警察はその機種まで突き止め、持ち主を一人ずつ調べましたが、犯人には届きませんでした。
江崎社長の誘拐は1994年に時効を迎えます。最後に残った青酸入り菓子の事件も、2000年2月13日に時効となり、一連の事件はすべて、法的には裁けなくなりました。警察庁が「広域重要指定114号」として扱った事件は、未解決のまま幕を閉じたのです。

事件が変えた、お菓子の箱と警察無線
犯人は捕まりませんでしたが、この事件は、私たちの暮らしに確かな跡を残しています。
ひとつは、お菓子の包装です。一度開けると元に戻せない包み方や、外側をフィルムで覆う包装が、この事件をきっかけに食品業界全体へ広がりました。売り場で誰かが細工をしても、すぐに気づけるようにするためです。1987年には、流通している食品に毒を混ぜることなどを罰する特別措置法も作られました。
もうひとつは、警察の仕組みです。犯人に聞かれていた無線は、その後、傍受されにくい方式へと切り替えが進みました。府県警の境目をまたぐ事件で、情報をどう共有し、誰が指揮を執るのか。その課題も、この事件で浮き彫りになりました。
そして、私たち一人ひとりに残る教訓もあります。犯人は、報道や世間の騒ぎそのものを道具にしました。不安をあおる話を面白がって広めることは、ときに犯人の筋書きに手を貸すことになりかねません。確かな情報を待ち、店頭で気になる商品を見つけたら手に取らずに店や警察に知らせる。それが、こうした犯罪に負けないための、いちばん身近な備えです。
なお、この事件では、捜査の重圧の中で一人の警察官が命を絶っています。つらい気持ちを抱えている方は、ひとりで抱え込まず、身近な人や相談窓口を頼ってください。
まとめ
グリコ・森永事件は、1984年3月18日、江崎グリコの社長が自宅から連れ去られたことに始まりました。「かい人21面相」を名乗る犯人は、食品会社6社を脅し、約1年半で144通もの手紙を送り、店頭に青酸入りの菓子を置きました。キツネ目の男は2度も捜査員の前に姿を見せながら逃げ切り、1985年8月の手紙を最後に、犯人は沈黙します。のべ約130万人の捜査員が動いても、2000年2月13日、すべての事件が時効を迎えました。残ったのは、開けたら分かるお菓子の包装と、聞かれない警察無線、そして、騒ぎを楽しむ空気そのものが犯罪に利用されうるという教訓です。
出典・参考情報
- [A] 衆議院「流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法」(昭和62年法律第103号)
- [B] 神戸新聞NEXT「グリコ・森永事件40年」関連記事(2024年3月17日)
- [B] 神戸新聞NEXT「グリコ森永事件の現場コンビニ移転 発生から36年」(2020年2月11日)
- [B] 文春オンライン「グリコ・森永事件 子どもの声の脅迫テープ」関連記事(2020年11月1日)
- [B] 現代ビジネス「グリコ・森永事件」捜査関係者の証言記事(2024年)
- [B] Wikipedia「グリコ・森永事件」(経過・数字の確認)
- [B] Wikipedia「Glico Morinaga case」(経過の確認)
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