都市伝説・怪談

月に、コウモリ人間が住んでいた――191年前の今日、新聞が世界を釣った

都市伝説・怪談公開 2026年8月24日更新 2026年9月19日ザツレコ編集部
月に、コウモリ人間が住んでいた――191年前の今日、新聞が世界を釣った

1835年8月25日、ニューヨークの新聞「ザ・サン」が「月に生命がいる」と6日間にわたって報じた。二足歩行のビーバー、翼の生えたコウモリ人間、サファイアの神殿。全部ウソだった。しかも「この記事で部数が3倍になった」という有名な後日談まで、当の新聞自身が残した数字を並べると崩れる。191年前の今日、人類が最初に食らった大規模フェイクニュースの話。

1835年8月25日、ニューヨークの新聞「ザ・サン」が一面の4分の3を使って、とんでもない記事を載せた。月に生命がいる。植物がある。バイソンがいる。二足で歩くビーバーが火を使っている。そして、翼の生えたコウモリ人間が神殿を建てている。全部ウソだった。それが6日間にわたって連載され、アメリカ中に、そして大西洋を越えてヨーロッパにまで広がった。今日でちょうど191年。これは人類が最初に食らった大規模フェイクニュースの話であり、同時に「その事件について私たちが知っていること」自体がまた別のホラだった、という二段構えの話でもある。

予告は、たった三行の囲み記事だった

仕掛けは、いきなり本命を撃たなかった。

1835年8月21日、金曜日。ザ・サンの2面の隅に、ごく小さな告知が載る。エディンバラの新聞「エディンバラ・クーラント」からの転載という体裁で、こう書いてあった。喜望峰にいるサー・ジョン・ハーシェルが、まったく新しい原理による巨大望遠鏡を使って、きわめて驚くべき天文学的発見をしたと、エディンバラの著名な出版人から聞いた。

三行である。断定していない。「聞いた」と書いてあるだけだ。この時点でライバル紙は誰も反応しなかった。

ここで名前を借りられたサー・ジョン・ハーシェル(John Herschel)は、実在の、しかも当代一流の天文学者だった。父は天王星の発見者ウィリアム・ハーシェル。そして本人は1834年から本当に喜望峰にいて、南天の星を観測していた。つまり読者から見れば「あの人なら、あの場所で、何かとんでもないものを見ていてもおかしくない」という条件が、事実として全部そろっていたのである。

嘘に一番よく効く土台は、事実だ。

直径7メートルのレンズという設定

4日後の8月25日火曜日、第1回が出る。ここが今日の日付である。

見出しは「サー・ジョン・ハーシェルによる偉大なる天文学的発見」。エディンバラ・ジャーナル・オブ・サイエンスの増刊号からの抜粋、という触れ込みだった。書き手は同行者にして筆記者のアンドリュー・グラント博士。この人物は存在しない。

そして第1回は、驚くべきことに、月の生き物の話をほとんどしない。丸ごと一回分を、望遠鏡の説明に使うのである。

レンズの直径は24フィート。約7.3メートル。重さ7トン。参考までに、20世紀のパロマー天文台の望遠鏡でも直径17フィートしかない。しかも真の秘密は第2のレンズにあるとされた。「水素酸素顕微鏡」なる装置が像をさらに拡大し、同時に照明を当てて投影スクリーンに映し出す。倍率を上げると像が暗くなるという天文学の宿命的な問題を、この装置が解決した。そういう理屈だった。

まったくのでたらめである。しかし当時の読者にとっては、聞いたことのある単語が理屈っぽく並んでいる文章だった。文中には、この望遠鏡があれば月に昆虫がいた場合その昆虫学まで研究できる、という一節まである。

第1回は、生き物を見せない。見せるための道具の性能を、延々と保証してみせる。連載の構造として、これ以上ないほど巧妙だった。

二足で歩くビーバーがいた

第2回から、月面ツアーが始まる。

まず玄武岩の断崖。スコットランドのスタファ島の柱状節理に似ている、と書かれた。その岩は濃い赤の花に覆われている。植物がいる。次に動物だ。バイソンに似た茶色の四足獣の群れ、青鉛色のヤギ、そして小石の浜を猛烈な速度で転がっていく球形の水陸両生生物。

第3回では、目録が示される。樹木38種、植物はその倍、哺乳類9種、卵生動物5種。そしてこの回の目玉が、二足歩行するビーバーだった。後ろ足で立って歩き、子どもを腕に抱いて運ぶ。彼らは小屋を建てて住んでおり、その小屋は「多くの未開部族のものより上手に、高く」造られている。しかも小屋の上には煙が上がっていた。火を使っているのだ。

現代の目で読むと、ここまで来れば普通は笑い出す。だが1835年の読者は笑わなかった。理由は後で述べる。

月のコウモリ人間、ヴェスペルティリオ・ホモ

連載の頂点は、8月28日の第4回である。

観測者たちは「ルビーのコロシアム」と名づけた赤い丘の輪の内側に、人間に似た生き物を見つける。顔以外の全身が短く光沢のある銅色の毛に覆われ、背中には毛のない薄い膜の翼が、たたまれて乗っている。顔は黄色みを帯びた肌の色で、グラント博士いわく、大型のオランウータンよりはいくらかマシ。

ハーシェルはこの生物にラテン語の名を与えた。ヴェスペルティリオ・ホモ(Vespertilio-homo)。訳せば、コウモリ人間である。

彼らは活発に会話をしていた。ゆえに理性的な生き物であると推論される、と記事は書く。そのうえで、育ちの良いグラント博士は困ったように付け加える。彼らの娯楽のいくつかは、我々の地上的な礼儀の観念とはうまく折り合わない、と。要するに、大っぴらに交尾していたということだ。

そして記事は、疑う読者への先回りまでしている。近く刊行される書物には、複数の聖公会・メソジストなどの聖職者による証明書が収録される予定である。彼らはこの3月、一時的な守秘を条件に天文台を訪れ、この驚異を自分の目で見た証人になることを依頼された、と。

権威。伝聞。刊行予定の書物。証人はいるが、今は出せない。フェイクの型は191年前に完成している。

サファイアの神殿と、燃える球体

第5回で、書き手はさらに一段上を要求される。知的生命を出してしまった後、何を出せば読者は驚くのか。

答えは、謎だった。

無人の神殿が発見される。磨かれたサファイアで造られ、屋根は黄色い金属で、燃え上がる炎が雲のかかった銅の球体を舐めるようにかたどられている。まるで象形文字のようにそれを消費している、と表現された。

観測者たちは考え込む。この炎に包まれた球は、彼らの世界に起きた過去の災厄の記録なのか。それとも、我々の世界に来る未来の災厄の予言なのか。そして、ここが実にうまいのだが、答えを出さない。「想像力にとってどれほど魅惑的であろうとも、思弁的な理論にふけることは慎む」と書いて、その場を去るのである。

第6回、8月31日。もっと大きく、色が薄く、あらゆる点で改良された上位種のコウモリ人間が見つかる。彼らは果実を集め、飛び、水浴びをし、語り合っていた。月には肉食も凶暴な種もおらず、あらゆる生き物のあいだに普遍的な友愛が行きわたっている、と結論される。

そして連載は、あっけなく終わる。観測者たちが望遠鏡のレンズを太陽光の当たる向きに置いたまま帰ってしまい、レンズが虫めがねになって天文台の壁を焼いてしまったのだ。修理に一週間かかり、その頃には月が見えなくなっていた。

物語をたたむための、絵に描いたような幕引きである。

誰も、怒らなかった

ザ・サンが記事は作り物だったと認めたのは、9月16日のことだった。ただし、正式な取り消し記事は最後まで出していない。

普通ならここで読者が怒る。怒らなかった。

同時代の証言はおおむね一致していて、人々はむしろ面白がった。うまくやられた、という受け止め方である。新聞の売れ行きも落ちなかった。ボウリー劇場はこの話を舞台化し、ハニントンという博物館は絵に描いてジオラマ展示にした。子ども向けの挿絵入り本にもなった。今日でいえば、公式が乗っかってグッズを出したようなものだ。

書いたのは誰か。当時は伏せられていたが、後にザ・サンの記者リチャード・アダムズ・ロック(Richard Adams Locke、1800年生・1871年没)と特定される。ロック本人は1840年、週刊紙「ニュー・ワールド」に宛てた手紙で著者であることを認めた。彼はのちに、自分の風刺が事実として読まれるとは思っていなかった、と語っている。

動機は二つあったとされる。ひとつは、新聞を売ること。もうひとつが面白い。当時、月に何十億の住民がいると真顔で主張する牧師トマス・ディックのような論者や、1824年に「月の住民の明白な痕跡、とくに彼らの巨大建造物のひとつの発見」という論文を出したミュンヘン大学の天文学教授グルイトゥイゼンのような研究が、大真面目に流通していた。ロックはそれをからかうつもりだった、というのである。

パロディが本気で受け取られる。これも191年前から変わっていない。

なお、エドガー・アラン・ポーは激怒した。同じ1835年6月、自分が月旅行の話「ハンス・プファールの無比の冒険」を発表したばかりだったからだ。ポーはこの記事を自作の剽窃だと主張した。そして9年後の1844年、彼自身が同じザ・サン紙に「気球のホラ話」を書くことになる。うらやましかったのだと思う。

「部数が3倍になった」という、もう一つのホラ

さて、ここからが本題かもしれない。

この事件を紹介する記事のほとんどが、こう書いている。ホラ記事のおかげでザ・サンの発行部数は爆発的に伸び、世界一の日刊紙になった、と。科学読み物の書き手ウィリー・レイは1963年の著書で、部数が数日のうちに8,000部から19,360部に跳ね上がったと書いた。1984年のジャーナリズムの教科書には、部数が「ほぼ3倍になった」とある。

この数字の出どころは、ザ・サン自身の自慢である。連載4日目の8月28日、同紙は総発行部数が19,360部に達したと書き、こう続けた。我が紙の発行部数は世界のいかなる日刊紙よりも多いと断言してはばからない(ロンドン・タイムズの日刊版はわずか17,000部である)。目下の唯一の困りごとは、需要に見合う数を刷ることだ、と。

ところが、である。

同じザ・サンは、連載が始まる2週間前、8月13日にもこう自慢していた。本日午後5時の時点で、昨日発行分の実に26,000部が売れた。合衆国のいかなる新聞も、世界のいかなる新聞も、一日にこれほど売ったことはない。

26,000部から19,360部。同紙自身の数字を並べると、部数はホラ記事の最中に、むしろ減っている。

もっとも、8月13日の26,000部にも事情がある。その少し前、ニューヨークの下町を火事が襲い、最大のライバル紙ニューヨーク・ヘラルドの印刷機が焼けていた。ヘラルドを買えなくなった読者が一時的にザ・サンに流れた可能性が高い。加えてボルチモアでは暴動が起きており、人々は続報を求めていた。

結局、実態はこうだったと見られている。1835年8月の時点でザ・サンは日々おおむね19,000から20,000部を売る新聞であり、ホラ記事の期間もその水準を保った。目立った急上昇はしていない。同紙自身、8月29日の自慢のなかで、部数の伸びは「この2か月のあいだ」のことだと書いていて、月の発見のおかげだとは一言も言っていないのである。

つまり、順番が逆なのだ。ホラ記事が部数を押し上げたのではない。もともと部数が大きかったから、ホラ記事が国中に届いた。

そしてこれが可能になった理由が、蒸気機関の印刷機と、街頭の新聞売り子だった。1833年、ザ・サンは世界で初めて少年たちに見出しを叫ばせながら新聞を売らせた。ホラ記事の2年前である。1部1セントのペニー・プレスと、蒸気印刷機と、叫ぶ売り子。この三つがそろったことで、ニューヨーク中のあらゆる階層の人間が、同じ日の朝に、同じ話を知った。これは当時まったく新しい経験だった。

大衆メディアという装置が完成した直後に、その最初の性能テストとして撃ち込まれたのが、月のコウモリ人間だったわけである。

ちなみに、当時の新聞の反応を並べると、疑ったほうが多い。ヘラルドのジェームズ・ゴードン・ベネットは印刷機の修理を終えて8月31日に復帰するや「天文学的ホラ話の解明」という記事を書いて噛みついたし、ジャーナル・オブ・コマース紙は「これは間違いなくこの国で製造された記事であり、ロビンソン・クルーソーやガリヴァー旅行記と同じ学校に属する」と断じた。ボストン・モーニング・ポスト紙にいたっては「良識と知識のある人間がこの見え透いたホラに疑いを持ちうるとは奇妙だ」と読者を叱っている。ヘラルドはのちに、こう皮肉った。ペニー新聞は一紙たりとも月のホラを信じなかった。6セント新聞は半分が引っかかった、と。

騙されたのは無知な大衆だった、という筋書きすら、少し怪しいのである。

まとめ

1835年8月25日から6日間、約17,000語にわたって、ニューヨークの1セント新聞は月に生命がいると書いた。実在の一流天文学者の名前を借り、架空の同行者に語らせ、実在する科学誌からの転載という体裁をとり、証人はいるが今は出せないと書いた。信じた人は多く、そして誰も本気で怒らなかった。

191年たって、フェイクニュースの手口はほとんど進歩していない。権威の名を借りる。転載という形式で出どころをぼかす。検証できるものは常に「近日公開」に置く。断定を避けて、読者のほうに断定させる。違うのは、いま同じことをするのに印刷機も売り子も要らない、という点だけだ。

そしてこの事件からもうひとつ持ち帰れるのは、ホラ話の伝説には、たいていホラが上乗せされているということである。「この記事で新聞の部数が3倍になった」という有名な一節は、当の新聞が残した数字を並べるだけで崩れる。イェール大学の教授団が真偽を確かめに乗り込んできたという逸話も、時代が下るごとに登場人物が豪華になっていった形跡がある。

191年前のホラ話を語るときですら、私たちは裏を取らないと足をすくわれる。月にコウモリ人間はいなかった。ついでに、あの記事が新聞を世界一にしたという話も、いなかった。

出典・参考情報

  • [A] The Sun(New York)1835年8月21日、および8月25日から8月31日の連載「GREAT ASTRONOMICAL DISCOVERIES, LATELY MADE BY SIR JOHN HERSCHEL」原紙記事
  • [A] Library of Congress Blogs(Folklife Today)「Belief, Legend, and the Great Moon Hoax」2014年8月26日
  • [B] The Museum of Hoaxes「The Great Moon Hoax of 1835」原文6回分の翻刻と同時代紙誌の反応一覧を収録
  • [B] Smithsonian Magazine「The Great Moon Hoax Was Simply a Sign of Its Time」
  • [B] Encyclopaedia Britannica「The Great Moon Hoax of 1835 Was Sci-Fi Passed Off as News」
  • [B] HISTORY「The Great Moon Hoax is published in the New York Sun」1835年8月25日の項
  • [B] Matthew Goodman『The Sun and the Moon』Basic Books、2008年
  • [B] István Kornél Vida「The Great Moon Hoax of 1835」Hungarian Journal of English and American Studies、2012年
  • [B] Steven W. Ruskin「A Newly-Discovered Letter of J.F.W. Herschel concerning the Great Moon Hoax」Journal for the History of Astronomy、2002年

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