
死なないという細胞
みなさんは、ある人が亡くなったあとも、その人の細胞だけが世界中の研究室で生きつづけ、今この瞬間も分裂を繰り返している、と聞いたら信じられるでしょうか。それが本当に起きています。1951年に亡くなった、ひとりの女性の細胞です。
ふつう、人の体から取り出した細胞は、培養しても数回分裂しただけで力尽き、やがて死んでしまいます。ところが、ある女性のがん細胞だけは違いました。栄養さえ与えれば無限に増えつづける、人類が初めて手にした「不死化細胞」だったのです。その細胞は「HeLa(ヒーラ)」と名づけられ、これまでに合計で何十トンも培養され、ポリオワクチンの開発に使われ、ロケットに乗って宇宙へも行きました。けれど、その細胞の持ち主が誰で、どんな人生を送ったのかは、長いあいだ忘れられていました。彼女の名前は、ヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)といいます。

ボルチモアの病院で
ヘンリエッタは1920年、アメリカ南部バージニア州に生まれました。タバコ農園で働く一家に育ち、結婚後は仕事を求めて北部の都市ボルチモア近郊へ移り、五人の子どもを育てる母親でした。1951年のはじめ、31歳の彼女は、お腹の奥に「こぶのようなしこりがある」「出血が止まらない」と感じ、病院の門をたたきます。
向かった先が、ジョンズ・ホプキンス病院(The Johns Hopkins Hospital)でした。当時のアメリカは人種隔離の時代で、黒人が診てもらえる病院はごくわずか。ホプキンスは、貧しい黒人の患者を無料で受け入れる数少ない大病院のひとつだったのです。診断は、子宮頸がん。彼女は放射線治療を受けることになりました。ここまでは、当時としてはありふれた、ひとりの患者の物語でした。ところがこの治療の最中に、彼女自身がまったく知らないところで、医学史を変えるできごとが起きていました。

本人の知らないうちに
治療のために組織を採取する際、医師は彼女のがん組織と、健康な子宮頸部の組織を、本人に告げることも、許可を得ることもなく少しだけ切り取りました。当時のアメリカには、患者の体から取った組織を研究に使うのに同意を求めるという法律も慣習もなかったのです。その小さな組織片が、がん研究者ジョージ・ゲイ(George Otto Gey)の研究室へと渡されました。
ゲイは長年、研究室で人の細胞を生かしつづけようと試み、ことごとく失敗していました。ところがヘンリエッタの細胞は、これまでのどの細胞とも違いました。一晩で倍に増え、止まる気配を見せない。彼は驚き、その細胞に持ち主の名前の頭文字を取って「HeLa」と名づけ、求める研究者たちに無償で分け与えていきます。こうしてHeLaは世界へ広がっていきました。一方の本人は、がんが急速に進行し、ヘンリエッタは1951年10月4日、31歳の若さでこの世を去りました。彼女が眠るのは、長く墓標さえない無名の墓でした。自分の細胞が世界へ旅立とうとしていることを、彼女はついぞ知りませんでした。

世界を変えた細胞
主を失ったあとも、HeLaは増えつづけ、医学の歴史を静かに、しかし決定的に塗り替えていきます。最初の大仕事は、ポリオ(小児まひ)ワクチンでした。1950年代、世界を恐怖に陥れていたポリオ。ジョナス・ソークが開発したワクチンの効果を確かめるには、ウイルスをたくさん増やせる「生きた細胞」が大量に必要でした。そこで大活躍したのが、いくらでも増えるHeLaです。HeLaはワクチン検定のために工場のように量産され、無数の子どもたちの命を救うことになりました。
それだけではありません。HeLaは、人間の染色体を正確に数える研究、体外受精(IVF)、がんやエイズ、さらには近年の新型コロナウイルスの研究まで、現代医学のありとあらゆる場面で使われてきました。宇宙が人体に与える影響を調べるため、ロケットに乗せて打ち上げられたこともあります。HeLaを使った科学論文は数えきれず、関連する特許は一万件を超えるとされます。ひとりの女性の体から取られた、ほんの小さな組織片。それが、世界中の研究室をつなぐ、医学の「共通言語」になっていたのです。

名前を取り戻すまで
ところが、ここに大きな影がありました。HeLaがこれほど世界に広まっても、その持ち主がヘンリエッタ・ラックスという実在の女性であること、そして遺された家族がいることは、長いあいだ顧みられませんでした。家族がHeLaの存在を知らされたのは、彼女の死から二十年以上たった1970年代のこと。しかも一部の研究者が、家族にじゅうぶんな説明をしないまま血液を採ったり、彼女の本名が公表されたりと、プライバシーへの配慮を欠く扱いも続きました。子どもたちは「母の細胞が世界中で売り買いされているのに、自分たちは医療保険にも入れない」という、やりきれない思いを抱えることになります。
転機は、2010年に作家レベッカ・スクルートが著した『不死細胞ヘンリエッタ・ラックス(The Immortal Life of Henrietta Lacks)』でした。この本が世界的なベストセラーとなり、細胞の陰に隠れていたひとりの人間と家族の物語が、ようやく広く知られます。2013年には米国立衛生研究所(NIH)が、HeLaの遺伝情報へのアクセスを管理する委員会に遺族を加えることで合意。2021年にはWHO(世界保健機関)が彼女の貢献を公式にたたえ、2023年には、HeLaを販売してきたバイオ企業サーモフィッシャー社と遺族とのあいだで和解が成立しました(条件は非公開)。彼女の死から70年以上を経て、ようやく「細胞」に「名前」と「尊厳」が戻されたのです。この出来事は、患者本人の同意を得るインフォームド・コンセントの大切さ、そして医療における公平さを、社会に強く問い直すきっかけになりました。

まとめ
ヘンリエッタ・ラックスの細胞が、本人の同意なく採られたこと、それが人類初の不死化細胞となり医学を大きく前進させたこと、そして家族が長く置き去りにされたこと。ここまでは確かな事実です。HeLaは、数えきれない命を救った「奇跡の細胞」であると同時に、科学の進歩が時に一人の人間の権利や尊厳を置き去りにしてしまう、という「警鐘」でもあります。
私たちが受けてきた医療の多くは、名も知られないまま提供された、誰かの体の一部に支えられているのかもしれません。だからこそ、その恩恵を当たり前と思わず、提供する人の意思を尊重し、きちんと説明し、同意を得るという、当たり前の手続きが、どれほど大切かを、HeLaの物語は静かに教えてくれます。世界を救いつづける細胞の向こうに、ボルチモアで五人の子を育てた、ヘンリエッタ・ラックスというひとりの女性がたしかにいたことを、私たちは覚えておきたいと思います。
出典・参考情報
- Johns Hopkins Medicine「The Legacy of Henrietta Lacks」(信頼度A:当事者である公的医療機関の公式解説)
- STAT News「Henrietta Lacks settlement hailed by experts」2023-08-01(信頼度A:専門医療メディア)
- Rebecca Skloot『The Immortal Life of Henrietta Lacks』2010(信頼度B:定評書籍)
信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書。被害者・ご家族の尊厳に配慮し、事実・証言・諸説を区別して記載しています。






