2007年の春、千葉県市川市のマンションで、イギリスから来た22歳の英語教師が命を奪われました。部屋の住人だった市橋達也は、駆けつけた警察官の前から裸足で逃げ出し、自分の顔に刃物を入れてまで、2年7か月ものあいだ姿を消しました。今回は、この事件を面白がるためではなく、何が起きたのか、なぜ逃亡がここまで長引いたのか、そして何が逃亡を終わらせたのかを確かめ、そこから学ぶために振り返ります。被害に遭われたリンゼイ・アン・ホーカーさんの尊厳を第一に、裁判と信頼できる報道で確かめられた事実だけを順にたどっていきましょう。

「英語を教えてほしい」と声をかけてきた男
リンゼイ・アン・ホーカーさんは、1984年12月30日、イギリス中部のコベントリーで生まれました。リーズ大学で生物学を学び、優秀な成績で卒業したあと、2006年の秋に来日します。大手の英会話学校「NOVA」の講師として、東京都江戸川区の小岩にある教室で教えていました。住まいは、同じ学校の外国人講師2人と一緒に借りた部屋でした。日本の文化が好きで、いずれは別の国でも教えたいと話していたと伝えられています。
2007年3月、そのリンゼイさんに、帰りの電車の中で一人の男が声をかけてきました。千葉大学の園芸学部を卒業した、当時28歳の市橋達也です。報道によれば、男はリンゼイさんの自宅近くまでついてきて、英語を教えてほしいと頼みました。不審に思ったリンゼイさんは、同居していた友人に男の顔を見せておいたといいます。それでも、相手は「生徒」として連絡先を残していきました。
数日後の3月25日、日曜日。二人は喫茶店で個人レッスンをしました。レッスンのあと、市橋はタクシーでリンゼイさんを自分のマンションへ連れて行きます。リンゼイさんは運転手に待っていてほしいと頼みましたが、7分ほどたっても戻らず、タクシーはその場を離れました。リンゼイさんが、外に姿を見せることは二度とありませんでした。

2007年3月26日、裸足の逃走
翌26日、リンゼイさんが授業に来ないことを心配した学校と友人が、警察に届け出ました。夕方、警察官が市川市行徳にある市橋のマンションに向かいます。部屋の中には人の気配がありましたが、令状がなく、すぐには踏み込めませんでした。応援が呼ばれ、マンションの周りには9人の警察官が集まったと報じられています。
その夜、市橋は突然、部屋から飛び出しました。靴もはかず、リュックサックを背負った姿でした。警察官の一人がリュックをつかみましたが、市橋はそれを振りほどいて階段を駆け下り、夜の住宅街へ消えていきます。のちに、現場の警察官が無線を持っておらず、上の階と下の階で連絡が取れなかったことも指摘されました。
その後、部屋に入った警察官は、ベランダに置かれた浴槽の中から、砂と土に埋められたリンゼイさんを見つけました。市橋はその日、近くのホームセンターに何度も通い、園芸用の土などを買い込んでいたことも分かっています。翌27日、千葉県警は死体遺棄の疑いで逮捕状を取り、市橋を全国に指名手配しました。3日後には、近くの駅前のホテルに市橋がいるという情報をもとに、捜査員20人が踏み込みましたが、姿はありませんでした。

顔を変え、名前を変えた2年7か月
ここから、長い逃亡が始まります。市橋は逃げた直後から、自分で自分の顔を変えようとしました。のちに出版された手記によれば、はさみで唇を切り、ほくろを自分で切り取り、針と糸で鼻を縫おうとしたといいます。
逃亡資金は、住み込みの仕事でまかないました。偽名を使い、大阪府内の建設会社で、およそ1年2か月にわたって働いていたことが分かっています。名前を偽ったまま、毎日現場に出ていたのです。
さらに市橋は、沖縄県久米島の東にある、無人のオーハ島にも渡っています。手記によれば、潮が引いたときに歩いて渡れるこの小さな島で、古いコンクリートの建物を寝床にし、魚や貝をとって暮らしていたといいます。手記には、逃亡中に東京ディズニーランドを訪れたという記述まであり、人目を避けながらも、ずっと隠れ続けていたわけではなかったことがうかがえます。
一方、警察は捜査を続けていました。女装した場合の姿に加工した手配写真を作り、事件から2年の節目には等身大のパネルまで用意しました。2009年6月、警察庁は情報提供への懸賞金の上限を、100万円から1,000万円に引き上げます。2008年の秋には、捜査にあたる警察官は140人にのぼっていました。ところが同じころ、警察の内部から「市橋はすでに自殺しているのではないか」という見方も漏れ伝わり、リンゼイさんの父親は、捜査の縮小につながると強く反発しました。決定的な手がかりは、なかなか見つかりませんでした。

整形後の顔の公開と、フェリー乗り場の通報
流れが変わったのは、2009年の秋でした。10月の半ば、市橋は福岡市の美容外科でも手術を受けようとしましたが、これは実現しませんでした。その後、市橋は名古屋市の美容外科で、偽名を使って鼻を高くする手術などを受けます。手術の直前に医院で撮られた、すでに何度か顔を変えたあとの写真が、警察の手に渡ります。2009年11月5日、警察はこの写真を公開しました。
それから5日後の11月10日。大阪市住之江区の南港にあるフェリーターミナルで、沖縄行きの船を待つ男に、フェリー会社の従業員が気づきました。手配写真の男によく似ていたのです。通報を受けて駆けつけた警察官が男に声をかけ、身柄を確保しました。指紋の照合で、市橋本人と確認されます。市橋は新幹線で東京へ移され、捜査本部のある千葉県の行徳警察署に入りました。逃亡は、2年7か月で終わりました。
この逮捕は、一人の名探偵がつかんだものではありません。報道によれば、美容外科の医院、大阪の建設会社の関係者、そしてフェリー会社の従業員など、いくつもの通報が重なって、市橋のいる場所が絞られていきました。公開された一枚の写真を、普通の人たちが覚えていたことが、最後の決め手になったのです。

裁判で問われたもの
逮捕のあと、市橋はしばらく黙秘を続けました。2009年12月、まず死体遺棄の罪で起訴され、その後、殺人と強姦致死の罪でも起訴されます。2011年7月4日に千葉地方裁判所で始まった裁判員裁判で、市橋はリンゼイさんの死に責任があることは認めましたが、殺すつもりはなかったと主張しました。
2011年7月21日、千葉地裁は、市橋に無期懲役を言い渡しました。リンゼイさんの両親は、イギリスから法廷に通い続け、最も重い刑を望んでいました。検察の求刑も無期懲役でした。判決は、殺意を認めたうえで、前科がないことや年齢などを考え、死刑は選びませんでした。日本では、被害者が一人の事件で死刑が言い渡されることは、きわめてまれです。2012年4月11日、東京高等裁判所も控訴を退け、市橋は最高裁判所に上告しなかったため、刑が確定しました。
市橋は裁判の前、逃亡生活をつづった手記を出版し、その印税を遺族に渡したいと申し出ました。しかし遺族は、受け取りを断っています。この手記は、2013年に映画にもなりました。制作の際、遺族には連絡がなかったと報じられています。加害者の言葉だけが作品として広がることに、割り切れない思いを抱いた人も少なくありませんでした。
無期懲役は、日本では刑期の決まっていない刑です。法律上は10年を過ぎると仮釈放の対象になりますが、実際の運用はまったく違います。法務省の資料によると、2024年に仮釈放された無期刑の受刑者が刑務所にいた期間は、平均で38年1か月でした。2024年の末の時点で、無期刑の受刑者は1,650人いて、過去10年間に仮釈放された人よりも、刑務所の中で亡くなった人のほうが、ずっと多くなっています。

この事件が残した教訓
この事件から、私たちが学べることは少なくありません。
一つ目は、身近な場面での警戒です。最初の接触は、電車の中での、ごく普通の声かけでした。知り合って間もない相手と二人きりで会うときは、人の多い場所を選び、行き先を誰かに伝えておく。リンゼイさんが友人に相手の顔を見せていたように、小さな備えが、のちの捜査の手がかりにもなります。
二つ目は、捜査の初動の大切さです。容疑者の目の前まで迫りながら取り逃がしたことは、その後の2年7か月を生みました。現場の連絡手段や配置の見直しは、この事件の苦い教訓として語り継がれています。
三つ目は、市民の情報が持つ力です。どれだけ顔を変えても、最後に逃亡を止めたのは、公開された写真を覚えていた人たちの通報でした。手配写真は、遠い世界の出来事ではなく、私たちの目に託された捜査の一部なのです。いまも全国の交番や駅には、未解決の事件の手配書が貼られています。見覚えのある顔に気づいたら、自分で近づかず、すぐに警察へ知らせることが大切です。
リンゼイさんの父親は、事件のあと何度も日本を訪れ、情報提供を呼びかけ続けました。逮捕の翌月には、協力した日本の人々に感謝を伝えるため、再び日本を訪れています。
まとめ
2007年、千葉県市川市で、英語教師のリンゼイ・アン・ホーカーさんが命を奪われました。市橋達也は警察官の前から裸足で逃げ、自分で顔を傷つけ、偽名で働き、無人島にまで渡って、2年7か月逃げ続けました。それを終わらせたのは、公開された一枚の写真と、それを覚えていた人たちの通報でした。市橋は無期懲役が確定し、いまも服役しています。遠い国で夢を追っていた一人の若者の命が失われたことを忘れずに、この記録を、自分と周りの人を守るための知恵として胸にとどめておきたいと思います。
出典・参考情報
- [A] 法務省「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」(令和6年)
- [B] AFPBB News「英国人女性殺害、市橋被告に無期懲役」(2011年7月21日)
- [B] AFPBB News「市橋被告、殺意を否認 英女性殺害初公判」(2011年7月4日)
- [B] The Japan Times「Ichihashi's life on the run ends in Osaka」(2009年11月)
- [B] Channel 4 News「Lindsay Hawker's Japanese killer jailed」(2011年7月21日)
- [B] Channel 4 News「Japanese bathtub killer loses appeal」(2012年4月11日)
- [B] 週刊女性PRIME「市橋達也受刑者、獄中から恩師にあてた手紙の内容とは」(2015年5月)
- [B] J-CASTニュース「市橋被告『毒ヘビも食べていた』 手記でロビンソン的逃亡生活を告白」(2011年1月)
- [B] Nichi Bei「Man charged with English teacher's murder releases a book about his years on the run」(2011年1月)
- [B] 市橋達也『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』幻冬舎(2011年1月26日・本人の手記)
- [C] Wikipedia「Murder of Lindsay Hawker」(The Times、BBC、The Japan Times などの報道をまとめたもの)
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