世界でいちばん有名な殺人犯は、誰でしょうか。名前で答えられる人が、たぶん一番多いのは「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」です。ロンドン、1888年。事件から138年たって、犯人は捕まっていません。それどころか、誰なのかも分かっていない。分かっていないのに、名前だけが世界一有名になった。
しかもその名前は、犯人が自分で名乗ったものではない可能性が非常に高い。今日はこの、ねじれた事件の話をします。あっても無くても人生に影響しない、けれど後味だけはやたら残るムダ知識をインストールしていきましょう。
先に一つ、お断りしておきます。この回では、遺体の状態についての描写はしません。この事件は当時から、そこばかりが消費されてきました。かわりに、確認できる事実と、いまも続いている話をたどります。

1888年の秋、ロンドンの東の外れで
まず、確認できる事実から。
現場はロンドン東部、ホワイトチャペル(Whitechapel)という地区です。当時のイーストエンドは、極端に貧しい場所でした。日雇いの仕事と、一泊分の宿代と、路上。そこに住む人の多くが、その日の寝場所を毎晩探すような暮らしをしていました。
1888年8月31日から11月9日までの、およそ10週間。五人の女性が殺害されます。メアリー・アン・ニコルズ(Mary Ann Nichols)、アニー・チャップマン(Annie Chapman)、エリザベス・ストライド(Elizabeth Stride)、キャサリン・エドウズ(Catherine Eddowes)、メアリー・ジェーン・ケリー(Mary Jane Kelly)。この五人は、のちに「カノニカル・ファイブ(canonical five)」——正典の五人、と呼ばれるようになります。
なぜ「正典」なんて言い方が必要なのか。当時ロンドン警視庁が「ホワイトチャペル殺人事件」としてまとめていたファイルには、1888年から1891年までの11件が入っていました。そのうちどれが同一犯なのかは、当時も今も確定していません。五人に絞ったのは、事件から6年後の1894年、警視庁のメルヴィル・マクノートン(Melville Macnaghten)が書いた内部文書です。つまり「五人」という数字自体が、警察官一人の判断でできています。ここ、意外と知られていません。
9月30日には、一晩に二人が殺害されました。「ダブル・イベント」と呼ばれる夜です。この日、エドウズの遺体から切り取られたエプロンの一部が、少し離れたゴールストン街(Goulston Street)で見つかります。そのすぐ上の壁には、チョークでこう書かれていました。「The Juwes are the men that Will not be Blamed for nothing」。綴りも文法も崩れた、意味の取りにくい一文です。
このとき警視総監チャールズ・ウォーレンは、夜明けを待たずにこの落書きを消させました。ユダヤ系住民への暴動を恐れたためとされています。写真も撮られていません。事件でもっとも語られる物証の一つが、記録される前に消えたわけです。

「ジャック」という名前を作ったのは、たぶん記者だった
さて、名前の話です。
1888年9月27日、ロンドンのセントラル・ニュース通信社に一通の手紙が届きます。挑発的な文面で、末尾にこう署名されていました。「Yours truly, Jack the Ripper」。世に言う「ディア・ボス(Dear Boss)書簡」です。通信社は最初、いたずらとして相手にしませんでした。ところが数日後にダブル・イベントが起き、手紙が公開されると、この署名が新聞に載る。以後、名もなかった事件は「ジャック」という顔を持ちます。
では、これは犯人が書いたのか。当時の警察は、そう考えていませんでした。捜査部門を率いていたロバート・アンダーソン(Robert Anderson)は、この手紙を「やり手のロンドンの記者の創作」と記録に残しています。犯人の言葉ではなく、記者の作文だろう、と。名前が挙がっているのは通信社の記者トマス・ブリング、あるいはフレッド・ベストといった人物ですが、いずれも確定はしていません。
2010年代後半には、言語学の側からも検証が入りました。法言語学者アンドレア・ニーニ(Andrea Nini)が、事件関連の209通のメッセージを解析したところ、「ディア・ボス」書簡と、その直後に届いた「Saucy Jacky」ハガキに、共通する特徴的な言い回しが見つかった。同一人物が書いた可能性が高く、その書き手はメディア関係者らしい——という結論です。
ここは慎重に言葉を選びます。「記者が犯人の名前をでっち上げた」と断定はできません。ただ、その説が当時の警察の見立てであり、現代の分析とも整合している。少なくとも、「犯人が自分で名乗った名前だ」と思って使うのは、根拠が薄い。世界一有名な殺人犯の名前が、たぶん販促のために作られたものだった、という話です。

指紋もDNAもない時代の捜査
「当時の警察は無能だった」とよく言われます。これは、少し不公平です。
1888年に何が無かったかを並べてみましょう。指紋鑑定は、イギリスの警察で実務に使われるようになるのが1901年。血液型の発見は1901年。監視カメラも、通信記録も、当然DNA型鑑定もありません。犯行現場から犯人につながる物理的な線を引く手段が、事実上ゼロだったということです。
そのうえで警視庁とロンドン市警は、かなり力を入れています。数千人規模の聞き込み、対象を絞った戸別訪問、私服警官による夜間の張り込み、市民自警団の巡回。懸賞金の話も出ました。ただ、当時の捜査が頼れたのは目撃証言と密告だけで、その両方が大量に、そして矛盾したかたちで押し寄せた。手紙も数百通単位で届き、そのほとんどが便乗のいたずらでした。
この事件が「近代的な捜査の出発点」として語られるのは、成功したからではなく、限界がむき出しになったからです。証拠が保全されないまま消えたゴールストン街の落書きも、その象徴と言っていい。あの落書きが写真に残っていれば、と後世の研究者が言い続けているのは、そういう意味です。

三人の名前と、本の余白の書き込み
犯人候補は、これまでに100人以上が挙げられてきました。医者、床屋、画家、王室関係者、果ては小説家まで。ほとんどは後世の推測で、当時の捜査線上にすらいません。
当時の警察が実際に名前を書き残した人物は、ごく少数です。先に触れた1894年のマクノートン文書に挙がっているのが、モンタギュー・ドルイット、コズミンスキー、ミハエル・オストログの三人。ただしこの文書は、新聞が別の男を犯人扱いしたことへの反論として書かれた内部メモで、事実関係の誤りも指摘されています。
もう一つ有名なのが、いわゆる「スワンソンの余白書き」です。捜査を統括したドナルド・スワンソン(Donald Swanson)警視の遺した本の余白に、鉛筆でメモが書き込まれていた。1980年代に公開されたその内容は、おおよそこうです。犯人をはっきり見た唯一の目撃者が、ある容疑者を「この男だ」と指摘した。しかし目撃者は、証言を拒んだ。自分と相手が同じユダヤ系であり、証言すれば相手が絞首刑になると分かっていたからだ——。そして余白には、名前が書かれていました。「Kosminski」。
このメモは強烈な資料ですが、決め手にはなりません。書かれたのは事件から20年以上あと。裏づけとなる公式記録が見つかっていない。そして書かれた内容にも事実誤認があります。メモは容疑者が施設に移されて「まもなく死んだ」としていますが、アーロン・コズミンスキー(Aaron Kosminski)は1891年に精神科施設に収容されたあと、1919年まで生きていました。記憶で書かれたメモである以上、細部は疑ってかかるしかありません。

ショールのDNAと、科学者たちの反論
ここから現代の話です。
2007年、研究者ラッセル・エドワーズ(Russell Edwards)が、オークションで一枚のショールを落札します。「エドウズの事件現場から持ち帰られたもの」という来歴が付いていました。エドワーズはこれをリバプール・ジョン・ムーアズ大学の生化学者ヤリ・ロウヘライネン(Jari Louhelainen)らに託し、2014年に「犯人はコズミンスキーだった」と発表。2019年には査読誌『Journal of Forensic Sciences』に論文が載りました。エドウズの子孫とコズミンスキーの子孫のミトコンドリアDNAが、それぞれ布から採取された試料と一致した、という内容です。
大きく報じられました。そして、専門家からの反論はそれ以上に大きかった。
反論の柱は三つあります。
一つ、ミトコンドリアDNAは個人を特定できません。母方の家系をたどる情報なので、同じ配列を持つ人が世の中に何千人、何万人といます。容疑者を除外することはできますが、名指しすることはできない。これは鑑定の性質上、動かせない話です。
二つ、確率計算に誤りが指摘されました。2014年の発表では、決め手とされた変異が「29万人に1人」の稀少なものだと説明されていました。これが、小数点の位置を取り違えた誤りで、実際にはヨーロッパ系の99パーセント以上が持つありふれた配列だった。研究者自身がのちに訂正しています。
三つ、そもそも、このショールが1888年の現場にあったという証拠がありません。130年以上、誰の手を経てどこに保管されていたのかが追えない。この間に別人のDNAが付着する機会は無数にあります。ロウヘライネン自身、来歴の連鎖が切れていること、コズミンスキーが床屋だった以上、接触で試料が移った可能性を排除できないことを認めています。遺伝学の研究者からは、論文としての体裁そのものを厳しく批判する声も出ました。
まとめると、こうなります。「ショールからコズミンスキーの家系と矛盾しない配列が出た」——これは主張として成立する。「だからコズミンスキーが犯人だ」——ここには飛躍がある。事実と結論のあいだの距離が、この一件では非常に遠い。

遺族が求めているのは、有罪判決ではない
そして、この話には現在進行形の続きがあります。
エドウズの5代目の子孫にあたるカレン・ミラー(Karen Miller)さんは、DNA照合のために自分の検体を提供した一人です。彼女とエドワーズらは近年、正式な死因審問(inquest)を新たに開くよう求めてきました。イングランドの制度では、検死審問の再開には法務長官の許可が要ります。2023年、当時の法務長官マイケル・エリスは「十分な新証拠がない」として認めませんでした。その後、弁護士らは現法務長官リチャード・ハーマーに再度の判断を求めています。2026年8月現在、公的な結論は出ていません。
ここで少し立ち止まりたいのは、遺族が求めているものの中身です。誰かを有罪にすることではありません。138年前に死亡した容疑者を裁くことは、そもそも法的に不可能です。求められているのは、公的な場で記録が検証され、五人の死が「未解決の見世物」ではなく「きちんと調べられた事件」として文書に残ること。この違いは、小さくありません。
ちなみに、審問が開かれるかどうかとは無関係に、DNAの側の限界は変わりません。仮に審問が開かれても、現在の資料でコズミンスキーを特定することはできない、というのが科学の側の見立てです。

五人には、名前と人生があった
最後に、この事件の一番の教訓だと思うことを話します。
私たちは「切り裂きジャック」の名前を知っています。存在したかも怪しい署名を。一方で、殺された五人の名前を言える人は、ほとんどいません。100年以上のあいだ、五人はまとめて「娼婦たち」と書かれ、それ以上のことは書かれてこなかった。
2019年、歴史家ハリー・ルーベンホールド(Hallie Rubenhold)が『The Five』という本で、この前提そのものを検証しました。戸籍、教区記録、救貧院の名簿、検死審問の記録を一つずつ当たっていったところ、通説とかなり違う像が出てきます。五人のうち、性風俗の仕事で収入を得ていた記録が確認できるのは二人。残る三人については、そうした記録が見つからない。共通していたのは職業ではなく、家を失っていたことでした。宿代が払えず、路上や簡易宿を転々としていた。ヴィクトリア朝の社会は、夜に一人で外にいる貧しい女性を、それだけで「そういう女」と分類しました。
この本の主張には歴史学の側からの異論もあり、細部が全部確定したわけではありません。それでも重要なのは、「全員が娼婦だった」という138年物の前提が、実は誰も検証していなかった、と分かったことです。当時の新聞がそう書き、後の本がそれを写し、それが常識になっていた。
事件の教訓は、そこにあります。一つは、記録を残す側の責任です。証拠を保全せずに消したゴールストン街の落書き、部数のために作られたかもしれない犯人の名前、検証されないまま繰り返された被害者像。捜査の失敗と同じくらい、書き方の失敗がこの事件を歪めました。
もう一つは、被害の背景です。五人が狙われたのは、夜中に安全な寝場所がなかったからです。住まいの貧困が、そのまま身の安全の欠如になる。これは1888年のロンドン特有の話ではありません。現代でも、路上生活者が犯罪の被害に遭う率は際立って高く、そして被害が事件として扱われにくい。ここは、いまも地続きです。
だから、覚えて帰るとしたら名前のほうにしましょう。メアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズ、メアリー・ジェーン・ケリー。犯人の名前は、たぶん誰かの作り話です。この五つは、作り話ではありません。

まとめ
事件の骨格は、1888年秋の10週間に五人が殺害され、犯人が特定されないまま今日に至る、というだけのものです。そこに、記者が作ったかもしれない署名、消された落書き、20年後の記憶で書かれた余白のメモ、来歴の切れたショール、確率の桁を間違えた論文が積み重なって、138年ぶんの厚みになりました。
いま言えるのは、「まだ分かっていない」ということだけです。分かっていないことを分かっていないと言うのは、この事件ではかなり難しい。名前がついてしまっているからです。
出典・参考情報
- [A] ロンドン警視庁「ホワイトチャペル殺人事件」関連の当時の捜査文書(英国国立公文書館所蔵。マクノートン文書1894年ほか)
- [A] 各被害者の検死審問(inquest)記録(1888年)
- [B] Encyclopaedia Britannica「Jack the Ripper」
- [B] Science(AAAS)「Does a new genetic analysis finally reveal the identity of Jack the Ripper?」(2019年3月)
- [B] Journal of Forensic Sciences 掲載のショールDNA論文(2019年)および同論文への専門家からの批判
- [B] Smithsonian Magazine「No, We Still Cannot Confirm the Identity of Jack the Ripper」
- [B] Hallie Rubenhold『The Five: The Untold Lives of the Women Killed by Jack the Ripper』(2019年、Doubleday)
- [B] Andrea Nini による「ディア・ボス」書簡の法言語学的解析(2018年前後)
- [B] CBS News/AOL ほかによる遺族の死因審問請求に関する報道(2025年)
- [C] Casebook: Jack the Ripper 等の専門アーカイブ(一次資料の所在確認にのみ使用)
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