生物・自然の奇妙

4800キロ先の島で、大砲の音がした――143年前の今日、人類が聞いた一番大きな音

生物・自然の奇妙公開 2026年8月26日更新 2026年9月19日ザツレコ編集部
4800キロ先の島で、大砲の音がした――143年前の今日、人類が聞いた一番大きな音

1883年8月27日午前10時2分、インドネシアのクラカタウ火山が人類の記録に残る史上最大の音を出した。4800キロ先のインド洋ロドリゲス島では「重い大砲を撃つような遠い音」として日誌に記録され、64キロ先の船では乗組員の半数の鼓膜が破れ、160キロ先の気圧計は172デシベル相当を刻んだ。生まれた気圧の波は観測点を7回通過し、地球をおよそ3周半している。ただし「310デシベル」も「地球を4周」も、そのままでは正しくない。そして犠牲者3万6千人あまりのほとんどは、音ではなく津波で亡くなった。143年前の今日を、事実と諸説に分けてたどる。

1883年8月27日の午前10時2分。インドネシアのスンダ海峡で、ひとつの島が自分自身を吹き飛ばしました。クラカタウ火山です。今日でちょうど143年になります。

この爆発が語り継がれているのは、規模のせいだけではありません。「人類の記録に残るなかで、一番大きな音だった」という一点です。しかも根拠が言い伝えではない。当時イギリスとオランダが世界中に敷いたばかりの気象観測網が、その音を数字で記録してしまった。だから143年たった今でも検証できます。

ただし、ネットでよく見る「310デシベル」とか「音が地球を4周した」といった数字は、そのままだと少し違います。今日は、記録に残った事実と、あとから足された数字を分けてたどっていきます。

143年前の今日、午前10時2分

確認されているところから。クラカタウの噴火は8月26日の午後1時ごろに本格化し、一晩じゅう爆発を繰り返しました。面白いのは、ジャワ島やスマトラ島の人々が最初これを見物していたことです。数か月前から噴煙が上がっていて、わざわざ見に行く観光船まで出ていた。米国海洋大気庁(NOAA)は、当時のあたりの様子をお祭りに近い雰囲気だったと書いています。

決定的な一発が来たのは、翌8月27日の午前10時2分でした。島の北側3分の2が海の下に崩れ落ち、直径約6キロのカルデラができた。NOAAの記録では、このとき噴煙は高さ約80キロ、つまり成層圏を突き抜けて中間圏まで達し、約80万平方キロを覆って、周辺は2日半のあいだ真っ暗になりました。昼も夜もなかったということです。

そして、音が出ました。

4800キロ先の島で、大砲の音がした

この噴火の一番有名な数字がこれです。音が聞こえた最遠地点は、インド洋のロドリゲス島。モーリシャスの東にある小さな島で、クラカタウからおよそ4800キロ離れています。

4800キロというのがどのくらいかというと、東京からだいたいシンガポールくらい。日本列島をまるごと通り越して、その先までです。そこにいたイギリス人の警察署長が、公式の日誌にこう書き残しました。東の方角から、重い大砲を撃つような遠い音が聞こえた、と。

彼は火山のことなど知りません。ただ「大砲の音がする」と書いて、日付と時刻を記録した。それが後年、火山学の教科書に載ることになります。

同じような報告は、オーストラリア各地、ニューギニア、フィリピン、スリランカからも上がりました。NOAAの整理では、この音は地球の表面積のおよそ10パーセント以上の範囲で、実際に耳で聞かれています。一発の音が地球の1割に届いた記録は、後にも先にもこれだけです。

鼓膜が破れた船と、172という数字

音の大きさそのものについては、二つの記録が残っています。

ひとつは船の記録です。イギリス船ノーラム・キャッスル号は、噴火の瞬間、クラカタウからおよそ64キロの海上にいました。サンプソン船長は航海日誌にこう書いています。爆発があまりに激しく、乗組員の半数以上の鼓膜が破れた、と。64キロ離れた場所で、音だけで鼓膜が裂けたということです。

もうひとつが、数字として残ったほうです。当時のバタヴィア、現在のジャカルタのガス工場に、気圧を連続記録する装置がありました。クラカタウからおよそ160キロ。ここの記録紙に、水銀柱で2.5インチを超える急激な圧力の跳ね上がりが刻まれていました。この圧力変化を音圧レベルに換算すると、およそ172デシベルになります。

172デシベルというのは、160キロ離れた地点での値です。ジェット機のすぐ横で140デシベル、鼓膜が破れるのが150デシベル前後と言われますから、160キロ先でその上をいっている。震源で何が起きていたかは、想像するしかありません。

ここで、よく出回っている数字にも触れておきます。クラカタウは310デシベルだった、という説明です。百科事典のブリタニカを含め、複数のメディアがこの推定値を載せています。

ただし、これは音のデシベルとしては扱いに注意がいる数字です。地上の大気圧のもとで、空気を伝わる音として成立する上限は、およそ194デシベルとされています。理由は単純で、音とは空気が濃くなったり薄くなったりして伝わる波なので、薄くなる側が真空に達したらそれ以上薄くなれない。そこを超えた圧力変化は、もう音波ではなく衝撃波として振る舞います。

つまり310デシベルは、耳に聞こえた大きさというより、震源付近の圧力を無理やり同じ物差しに乗せた推定値、という理解が近い。ザツレコとしては、確実に記録が残っている「4800キロ先で聞こえた」「64キロ先で鼓膜が破れた」「160キロ先で172デシベル相当」の三つのほうが、はるかに強いと思っています。伝聞の桁の大きさより、日誌に残った一行のほうが怖い。

地球を3周半した、たった一本の波

そしてもうひとつ、面白い数字が「地球を何周したか」です。

爆発が生んだ気圧の波は、地球の大気の中を広がっていきました。当時ヨーロッパやアメリカに設置されていた自記気圧計、つまり気圧をペンで紙に描き続ける装置が、この波が通過するたびに小さな山を記録しています。ロンドンでも、ワシントンでも、同じ形の山が同じ間隔で現れた。

イギリス王立協会は噴火の直後にクラカタウ委員会を立ち上げ、世界中から観測記録を集めて1888年に分厚い報告書を出しました。この報告のなかで、気圧の波が地球を回りながら各観測点を繰り返し通過したことが確認されています。同じ波の通過が7回まで記録された、というのが元の話です。

行きと帰りで2回通るので、7回の通過は、周回でいえばおよそ3周半にあたります。ネットでよく見る「4周した」は、この7回をざっくり丸めた言い方です。どちらにしても、爆発が生んだ一本の波が、5日近くかけて地球を回り続け、その全行程が紙の上にペンで描かれていた。ここが本当にすごいところで、クラカタウは人類が初めて全球規模で計測できた自然災害と呼ばれています。海底電信網が通じたばかりで、噴火の第一報が数時間でロンドンに届いたのも、この噴火が初めてでした。

空が3年間、赤かった

音が鳴りやんだあとも、クラカタウは世界に残り続けました。空です。

成層圏まで打ち上げられた微粒子は、風に乗って地球全体に広がりました。その結果、噴火から数か月後、北半球の各地で異様に赤い夕焼けが続くようになります。どのくらい異様だったかというと、アメリカのニューヨーク州ポキプシーやコネチカット州ニューヘイブンで、消防隊が出動しました。空が燃えているように見えたので、住民が火事だと思って通報したのです。

ロンドンでは、画家のウィリアム・アスクロフトが、テムズ川沿いのチェルシーからこの空を延々とスケッチし続けました。残された色鉛筆の習作は数百枚にのぼり、いまも王立協会の報告書に関わる記録として扱われています。異常な夕焼けは、およそ3年続きました。

同時に、空気中の微粒子が太陽の光をさえぎったことで、噴火翌年の世界の平均気温は最大0.5度ほど下がっています。NOAAによれば、気温が元に戻ったのは5年後の1888年でした。火山が一発で地球の気候をずらした、はっきりした実例です。

そしてこの赤い空から生まれた、有名な説があります。エドヴァルド・ムンクの『叫び』の、あのうねる血のような空はクラカタウの夕焼けではないか、という説です。

これは諸説の段階です。アメリカの天文学者ドナルド・オルソンのチームは、王立協会の記録からオスロで1883年11月末から翌年2月にかけて赤い空が観測されていたことを突き止め、ムンクの証言と重ねました。かなり説得力のある議論で、長く定説のように扱われてきました。

一方、2018年に米気象学会の学会誌に出た別の研究は、あの空は真珠母雲、英語でナクリアス・クラウドと呼ばれる、成層圏にできる虹色の雲ではないかと指摘しています。ノルウェー南部で冬に見られる現象で、色と波形の再現がこちらのほうがよく合う、という主張です。

現時点で決着はついていません。ムンク自身は血のような赤い空を見たと書き残していますが、それがどちらだったかまでは書いていない。ザツレコとしては、クラカタウ説と真珠母雲説の二つがあり、どちらも記録に基づいている、というところまでにしておきます。

音は、誰も殺していない

ここまで音の話ばかりしてきましたが、最後に大事なことを書いておきます。

クラカタウで亡くなった人の数は、スミソニアン協会の火山データベースで3万6417人、NOAAでおよそ3万6000人とされています。そのうち3万4000人以上は、音ではなく津波によるものです。島が崩れたことで発生した波は、NOAAの記録でインドネシア・バンテン州に高さ約41メートルで到達し、165の集落を消しました。スミソニアンは最大37メートルとしています。数字が機関によって少し違うのは、当時の測定が痕跡からの推定だからです。

つまり、地球で一番大きな音を出した災害の犠牲者は、ほぼ全員が水で亡くなっている。派手な記録のほうばかりが有名になりますが、実際に人を襲ったのは、爆発から数十分後に静かに寄せてきた海のほうでした。

そして143年後、同じ場所でよく似たことが起きています。1883年の噴火でできたカルデラの中から、1920年代に新しい火山が生まれました。名前をアナク・クラカタウ、クラカタウの子といいます。この子は2018年12月22日に山体の一部を崩し、津波を起こしました。夜間で、しかも火山性の津波は地震を伴わないため、当時の警報システムが検知できなかった。NOAAの集計で437人が亡くなっています。

親と子で135年。地球の側からすれば、ほとんど連続した同じ出来事です。

まとめ

143年前の今日、クラカタウは人類の記録に残る一番大きな音を出しました。4800キロ先のロドリゲス島で大砲の音として聞かれ、64キロ先の船では乗組員の半数の鼓膜が破れ、160キロ先の気圧計は172デシベル相当を記録した。生まれた気圧の波は7回にわたって観測点を通過し、地球をおよそ3周半しました。

一方で310デシベルという数字は音の上限をめぐる議論があり、4周という言い方は7回の通過を丸めたものです。『叫び』の空も、クラカタウ説と真珠母雲説が並んだままです。

そして犠牲者3万6千人あまりのうち、ほとんどは音ではなく津波で亡くなりました。2018年、その子どもが同じことを繰り返しています。

世界で一番大きな音の話をしているつもりで、たどり着くのはいつも、音のしなかったほうの話です。

出典・参考情報

  • [A] NOAA National Centers for Environmental Information「On This Day: Historic Krakatau Eruption of 1883」(2017年8月26日公開/2023年8月16日更新)
  • [A] Smithsonian Institution, Global Volcanism Program「Krakatau (262000)」火山データベース
  • [A] Smithsonian Institution, Global Volcanism Program「Bulletin Report on Krakatau — August 2019」(アナク・クラカタウ2018年の山体崩壊と津波)
  • [A] The Royal Society, Krakatoa Committee『The Eruption of Krakatoa and Subsequent Phenomena』(G. J. Symons編、1888年)
  • [B] Science Advances「The 22 December 2018 tsunami from flank collapse of Anak Krakatau volcano during eruption」(2020年)
  • [B] Bulletin of the American Meteorological Society「The Sky in Edvard Munch's The Scream」(2018年7月/真珠母雲説)
  • [B] Encyclopaedia Britannica「What's the Loudest Sound in History?」
  • [B] Oregon State University, Volcano World「Describe the 1883 eruption of Krakatau」(赤い夕焼けと消防隊出動)
  • [B] 英国船ノーラム・キャッスル号 サンプソン船長 航海日誌(1883年8月27日/各種文献に引用)

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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