1911年8月22日の朝、パリのルーヴル美術館で、ひとりの画家が壁を見上げたまま固まった。あるはずの絵がない。残っているのは、絵を掛けていた鉄の釘だけだった。
消えたのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」。世界一有名な絵が盗まれた、という話ではない。世界一有名になったのは、盗まれたあとの話である。115年前の今日、その逆転が始まった。

26時間、誰も気づかなかった
事件が起きたのは、前日の1911年8月21日、月曜日。当時のルーヴルは月曜が休館日で、館内にいたのは清掃員と修理工だけだった。
白い作業着を着た男が、ルネサンス絵画が並ぶサロン・カレに入り、壁から小さな板絵を外した。額とガラスケースを階段脇で分解し、板だけを作業着の下に隠して、そのまま出口から歩いて出ていった。それだけである。破壊も、脅迫も、共犯者との合図もない。
問題はここからだ。絵がないことに誰も気づかなかった。当時のルーヴルでは、作品が撮影や修復のために持ち出されることが日常的にあり、壁が空いていても「今日は写真室だろう」で流れてしまう。翌8月22日の朝、模写のために通っていた画家ルイ・ベローが「まだ戻ってこないのか」と警備員に尋ね、警備員が確認に走り、そこでようやく事態が判明した。消えてから約26時間が経っていた。
館内は封鎖され、フランス国境は一時閉鎖され、出国する船と列車が検査された。ルーヴルは1週間閉館し、館長は引責で職を失った。フランスの新聞は号外を出し、事件は翌日には世界中の一面に載った。

指紋はあったのに、照合できなかった
捜査を指揮したのは、パリ警視庁のアルフォンス・ベルティヨン。犯罪者の身体寸法を記録する「人体測定法」とマグショット(顔写真)の発明者として知られた、当時の最先端の人物である。
彼は指紋という新しい技術も導入していた。そして現場に残された額からは、実際に指紋が採取されていた。さらに言えば、犯人の指紋カードは、すでにパリ警視庁の中にあった。犯人は過去に別件で記録を取られていたのである。
それでも照合できなかった。当時のパリ警視庁の分類は右手の指紋を基準にしており、現場に残っていたのは左手の親指の跡だったからだ。索引の作り方ひとつで、答えを手元に持ったまま2年間探し続けることになった。
捜査は迷走する。当時パリにいた28歳のパブロ・ピカソが、詩人ギヨーム・アポリネールとともに事情聴取を受けた。ふたりは以前、ルーヴルから流出したイベリア彫像を仲介人から入手していた前歴があり、そこから疑われた。アポリネールは一時拘束されたが、モナ・リザ盗難とは無関係であることが確認され、ふたりとも容疑は晴れている。20世紀最大の画家が、20世紀最大の絵画盗難の参考人になったという事実だけが残った。

空っぽの壁を見るために、人が並んだ
ここからが、この事件のいちばん奇妙なところである。
盗難以前のモナ・リザは、ルーヴルの重要作品のひとつではあったが、「世界一有名な絵」ではなかった。同じ館内にはもっと大きく、もっと人を集める作品がいくつもあった。
ところが1週間後にルーヴルが再開すると、人々が押し寄せた。目当ては絵ではない。絵がなくなった壁である。何も掛かっていない壁の前に行列ができ、人は空いた場所をじっと見つめ、花を置いていく者までいた。館側はしばらくのあいだ、その空白をそのまま展示状態にしていたと伝えられる。
新聞は連日、絵の複製を紙面に刷った。ポストカードが売れ、風刺画が描かれ、広告に使われ、モナ・リザの顔は「行方不明の有名人」として世界中に配られた。絵そのものが人前から消えたその2年間に、その顔の複製だけが地球を一周した。
美術史家がしばしば指摘するのは、この点である。モナ・リザを世界一有名な絵にしたのは、レオナルドの筆ではなく、それが一度この世から消えたという物語だった、と。作品の価値の話ではなく、注目の集まり方の話として、これは今のインターネットで起きていることとそっくりに見える。

トランクの底で2年、そして「レオナルド」からの手紙
絵はどこにあったのか。パリの、犯人の下宿である。
犯人はヴィンチェンツォ・ペルージャ(Vincenzo Peruggia)、イタリア出身のガラス職人で、ルーヴルで作品用のガラスケースを取り付ける仕事をしていた。館内の構造も、休館日の人の少なさも、全部知っていた。彼は絵を二重底のトランクに入れ、自室に置いたまま普通に暮らしていた。捜査員は事件直後に彼の部屋を訪問し、事情も聴いている。そして帰っている。
2年後の1913年11月、フィレンツェの古美術商アルフレド・ジェリのもとに、「レオナルド」と名乗る人物から手紙が届く。モナ・リザを持っている、イタリアに返したい、という内容だった。ジェリはウフィツィ美術館館長ジョヴァンニ・ポッジとともにホテルの一室で現物を確認し、真作と判断したうえで警察に通報。ペルージャはその場で逮捕された。
彼の主張はこうだった。ナポレオンがイタリアから略奪した絵を、祖国に返しに来たのだ、と。実際にはモナ・リザはレオナルド本人がフランスに携え、フランソワ1世が正規に入手したもので、略奪品ではない。歴史の理解が間違っていたわけである。それでもイタリア世論の一部は彼を愛国者として扱った。裁判で言い渡された刑は1年15日、控訴によって短縮され、実際の服役は7カ月ほどで終わっている。
絵はフィレンツェ、ローマ、ミラノを巡回して大群衆に迎えられたのち、1914年1月にルーヴルへ戻った。帰ってきたモナ・リザを迎えたのは、消える前とは比べものにならない数の人だった。

黒幕がいたという説は、どこから来たのか
ここで必ず出てくるのが「本当の黒幕は別にいた」という話である。ここからは事実ではなく説として扱う。
その説によれば、エドゥアルド・デ・ヴァルフィエルノ(Eduardo de Valfierno)という名のアルゼンチン人詐欺師が首謀者で、贋作師イヴ・ショードロンに6枚の複製を作らせ、ペルージャに本物を盗ませた。本物が行方不明だと世界中が報じているあいだに、複製を「これが盗まれた本物です」と称して6人の富豪にそれぞれ売りつけた――という筋書きだ。買った側は盗品なので誰にも言えない。完璧な詐欺、というわけである。
よくできている。よくできすぎている。この話が世に出たのは1932年、アメリカの雑誌サタデー・イブニング・ポストに載った記者カール・デッカーの記事が初出で、デッカーは「本人から生前に聞いたが、死ぬまで書くなと言われていた」と説明している。裏づけとなる一次資料、たとえば裁判記録・警察記録・売買の痕跡は、現在に至るまで確認されていない。ヴァルフィエルノという人物が実在したかどうかすら定かではない。
つまりこれは、検証されていない読み物として扱うのが妥当な説である。ただし、なぜこれほど生き延びたのかは考える価値がある。ペルージャひとりが作業着で歩いて出ていっただけ、というあまりに素朴な真相に、事件の世界的な大きさが釣り合わなかったからだ。人は大きな出来事に、大きさの釣り合う裏側を求める。陰謀論が生まれる場所は、たいていこの落差のところにある。

115年後、同じ美術館で7分間
そして、この話には現在進行形の続きがある。
2025年10月19日の朝、開館中のルーヴルに侵入した集団が、アポロン・ギャラリーからフランス王室ゆかりの宝飾品8点を持ち去った。所要時間はおよそ7分。逃走にはスクーターが使われた。被害額はフランス検察の見積もりでおよそ8800万ユーロ(1億ドル超)とされ、ナポレオンが皇后マリー・ルイーズに贈ったとされるエメラルドの首飾りなどが含まれる。
その後の捜査で11人以上が拘束され、複数が組織的窃盗と犯罪共謀の容疑で訴追された。実行役とみられる人物も逮捕されている。ただし、報道されている限り、宝飾品そのものは見つかっていない。溶かされたり分解されたりしていれば、二度と元には戻らない。
1911年と2025年で決定的に違うのは、戻ってきたかどうかである。モナ・リザは、犯人が売ろうとしたから戻った。売れなければ換金できない絵画は、盗んだあとに困る。一方、宝石は石を外し、地金を溶かせば別のものになる。美術品盗難の世界で「絵は戻るが宝石は戻らない」と言われるのは、この差による。
2つの事件をまたいで残る教訓もはっきりしている。1911年の失敗は「盗まれたことに26時間気づかなかった」という監視の穴であり、2025年に指摘されたのも監視カメラと侵入検知の運用の穴だった。防犯設備の性能ではなく、異常を誰がいつ気づくかという運用の問題として、115年後も同じ場所が突かれている。歴史は繰り返さないが、韻を踏む、というやつである。
まとめ
1911年8月22日、ルーヴルの壁からモナ・リザが消えていることに、世界がようやく気づいた。犯人は館の元関係者で、作業着を着て歩いて出ただけだった。指紋は残っていたが索引の都合で照合できず、ピカソまで事情聴取され、絵は2年間トランクの底にあった。
そして空いた壁を見るために人が並び、複製が地球を一周し、戻ってきたときには世界一有名な絵になっていた。ある絵を不朽にしたのが、その絵が2年間存在しなかった時間だった、というのがこの事件のいちばんの雑学である。
黒幕説は面白いが、裏づけはない。確かなのは、いま防弾ガラスの向こうにいるモナ・リザの人だかりの正体は、115年前に空っぽの壁を見に来た行列の続きだ、ということのほうだ。
出典・参考情報
- [A] Musée du Louvre 公式解説「La Joconde」作品来歴
- [A] Paris prosecutor(パリ検察)発表 ルーヴル宝飾品盗難事件の逮捕・訴追(2025年10月〜11月)
- [B] Slate「Who stole the Mona Lisa?」盗難100年特集(2011年8月)
- [B] History Hit「10 Facts About the Audacious Theft of the Mona Lisa」
- [B] Sortiraparis「The theft of the Mona Lisa from the Louvre Museum in 1911」
- [B] ABC News(豪)「The art heist that made the Mona Lisa the most famous painting」(2025年4月)
- [B] TIME Archive「Art's Great Whodunit: The Mona Lisa Theft of 1911」
- [B] CNN / NBC News / Al Jazeera ルーヴル宝飾品盗難 続報(2025年10月〜11月)
- [C] Saturday Evening Post 掲載 カール・デッカー記事(1932年)=ヴァルフィエルノ説の初出。一次資料による裏づけなし
信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。





