トルコの東の果て、アララト山から南へ30キロほど下った斜面に、長さ164メートルの「船の形をした丘」があります。ノアの方舟の化石だと信じる人たちがいて、同じくらいの熱量で「ただの地形だ」と言い切る地質学者がいる場所です。2026年9月23日、この丘に初めて本格的なドリルが入り、深さ4メートルあたりで刃が折れたと発表されました。折れた理由は「石灰岩より硬い何か」。今回は、その何かの正体を急がずに、この丘をめぐる67年分の空回りと、実は30年前に一度出ていた答えを並べていきます。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていこう。

船の形をした丘に、ドリルが入った
発表したのは、アメリカの団体「ノアズ・アーク・スキャンズ」です。トルコのシワス・ジュムフリイェト大学考古学科のジェンケル・アティラ教授が率いる調査団に資金と機材を出しており、2026年9月23日に報道発表を配信しました。それによると、調査団は丘の上から乾式の打撃ドリルで地面を掘り、深さおよそ18メートルまで筒状の試料を抜き取りました。ところが船の形の内側、深さ4メートルから5メートルのところで、刃が硬い層にぶつかって割れてしまったといいます。
団体の創設者アンドルー・ジョーンズ氏は「石灰岩より硬い、刃が折れるほどの硬さだった」と語り、石になった木か、鉱物がしみ込んだ木の層ではないかと推測しています。ここで大事なのは、発表文そのものが「すべては暫定で、第三者の分析を待つ」と断っている点です。試料はアンカラの研究室に送られ、この冬に中身の分析が行われます。発表文によれば、この丘では1988年にも一度掘削が試みられましたが、刃を冷やす水が試料に混ざってしまい、使いものにならなかったそうです。水を使わない今回の試料は、きれいな状態で取り出せた初めてのものになるかもしれない、と団体は期待を込めています。
今年の調査はかなり大がかりでした。5か国の研究者およそ20人が、6月下旬から約90日間現地に入り、地中レーダーを頼りに150か所から約1,000点の土を採りました。丘の内側の土は外側より炭素が約40パーセント多く、地中には直角に交わる線や空洞のような反応があった、と調査団は説明しています。土器のかけらも見つかりましたが、年代はまだ測られていません。

1959年、一枚の航空写真
この丘が世界に知られたのは、1959年10月のことです。トルコ陸軍のイルハン・ドゥルプナル大尉が、NATOの地図作りのために撮られた航空写真を調べていて、山の斜面に舟のような輪郭を見つけました。のちに丘そのものが、この大尉の名前で呼ばれることになります。地元の話では、形が表に出たのはそれより前の1948年で、大雨と地震のあとに羊飼いが見つけたとも伝わっています。
写真はアメリカの雑誌『ライフ』に載り、翌1960年9月には調査隊が現地に入りました。二日間かけて掘り、ダイナマイトまで使って中を確かめましたが、出てきたのは土と石だけでした。調査隊は「考古学的な遺物は見当たらない」と結論し、話はいったんそこで終わります。
ちなみに、丘があるのはアララト山そのものではありません。標高5,137メートルの山頂から南へ29キロ、イランとの国境まで3キロの、標高2,000メートル前後の斜面です。そばにはテンデュレク山という火山もあります。

「方舟を見つけた」と言い続けた男
一度終わった話を掘り起こしたのは、アメリカ・テネシー州の麻酔看護師ロン・ワイアットでした。1977年ごろからこの丘を訪れ、「ここがノアの方舟だ」と主張しはじめます。ワイアットは契約の箱や紅海の底に沈んだエジプトの戦車の車輪も見つけたと語った人物で、学者の世界ではほとんど相手にされませんでした。
1985年には、元船乗りのデビッド・ファソルドと地球物理学者のジョン・バウムガードナーが合流し、地中レーダーや、金属に反応するという独自の装置で丘を調べます。彼らは、船体に規則正しく並ぶ鉄の留め金の列を見つけたと発表しました。さらに近くのカザン村に転がる、上の方に穴のあいた巨大な石を、方舟が引きずった錨の石だと考えました。
丘の長さは164メートル。旧約聖書の創世記は、方舟の大きさを長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトと書いています。1キュビトをエジプトの王家のものさしで52センチあまりとすると、長さはおよそ157メートル。数字が近いことが、信じる人たちの大きな支えになりました。ファソルドは1988年に『ノアの方舟』という本まで出し、丘は一気に有名になります。

見つけた本人が、自分で否定した
話が大きく動いたのは1994年です。ファソルドはオーストラリアの地質学者イアン・プリマーと一緒に現地を歩き、この丘は船ではないという考えに変わりました。そして1996年、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の地質学者ローレンス・コリンズと連名で、『地球科学教育ジャーナル』に論文を出します。題名は、トルコのにせのノアの方舟は、よくある地質構造だった、というものでした。
論文は一つずつ答えを出しています。鉄の留め金に見えたものは、風化した火山の鉱物。規則正しい壁に見えたのは、地層が谷のように曲がった向斜という構造の中にたまった褐鉄鉱と磁鉄鉱。木の皮に見えた縮れた模様は、変成した岩石の表面。錨の石は、はるか遠くから運ばれたものではなく、地元でとれる安山岩でした。
つまりこの丘は、硬い岩のまわりを泥が流れ、長い時間をかけて削られた結果、たまたま舟の形になった地形だ、というのが地質学の側の答えです。方舟を見つけたと言った本人が、その答えに署名したことになります。

それでも調査が続く理由
それでも話は終わりませんでした。2021年からは、イスタンブール工科大学、アール・イブラヒム・チェチェン大学、アメリカのアンドルーズ大学などが共同で調査を始め、2023年に開かれた方舟のシンポジウムで、丘の土およそ30点の年代を発表しました。報道では、銅石器時代にあたる、いまから3,500年から5,000年ほど前と伝えられています。
ただし、このときの研究責任者自身が「年代測定だけでは、ここに船があったとは言えない」と話しています。測ったのは土の年代で、木の年代ではないからです。地質学者からは、石になるほどの変化にはふつう途方もない時間がかかる、という指摘も出ています。
今回のドリルの話も、同じ目で見る必要があります。刃が折れたのは確かでも、この辺りは火山のすぐそばで、石灰岩より硬い溶岩や安山岩は珍しくありません。丘の内側に炭素が多いのは、植物や土がたまりやすい窪地なら起こりうることですし、直角に交わる割れ目は岩石の世界でよく見られます。どれも「方舟でなければ説明できない」ものではない、というのが現時点で言えることです。調査団は2027年に結果をまとめるとしており、答えはそこで出ることになります。

方舟の話は、もっと古い
最後に、方舟そのものの話を少しだけ。聖書の洪水物語によく似た話が、もっと古いメソポタミアの粘土板に残っていることが分かったのは、1872年12月のことです。大英博物館のジョージ・スミスが、ギルガメシュ叙事詩の第11の粘土板を読み解き、神の警告を受けて舟を造り、動物を乗せて洪水を生きのびる男の話を発表しました。
2014年には、同じ大英博物館のアーヴィング・フィンケルが、紀元前の1750年ごろの粘土板を解読しています。そこに書かれた方舟は細長い箱ではなく、面積3,600平方メートルほどの、丸いかごのような舟でした。川で使われていた葦の舟を、途方もなく大きくした形です。
もう一つ。創世記が方舟の行き着いた先として書いているのは「アララトの山々」で、一つの山ではありません。これはのちのウラルトゥ王国にあたる地域の名前だと考えられていて、いまアララト山と呼ばれている峰を指すとは限らないのです。
方舟の形については、真面目に計算した人たちもいます。1990年代には韓国の船舶の研究者たちが、長さと幅がおよそ6対1になる創世記の比率は、大波の中でもひっくり返りにくいという計算を発表しました。2014年にはイギリスのレスター大学の学生たちが、授業の課題として、この大きさの木の箱なら200万頭を超える動物を載せても沈まない、というレポートを書いています。2016年には、アメリカのケンタッキー州に、創世記の寸法どおりの長さ155メートルの方舟が木で建てられ、観光名所になっています。
まとめ
ドゥルプナルの丘は、1959年の航空写真から始まり、ダイナマイト、錨の石、地中レーダー、そして1996年の「よくある地質構造」という論文を経て、2026年のドリルにたどり着きました。刃が折れたのは事実ですが、それが方舟の木だという裏づけは、いまのところありません。信じる人の思いと、岩を読む人の答えは、同じ丘を前にして67年すれ違い続けています。この冬、アンカラの研究室で試料が開かれます。石だったのか、木だったのか。答えが出たら、また続きをお伝えします。
出典・参考情報
- [B] Noah's Ark Scans「Core Drilling Begins at Durupınar Noah's Ark Site, Drill Bit Shatters on Possible Layer of Petrified Wood」(GlobeNewswire 報道発表、2026年9月23日)
- [B] Arkeonews「Noah's Ark Mystery Deepens as New Discoveries Emerge Near Mount Ararat」(2026年9月23日)
- [B] Greek Reporter「Noah's Ark Search Uncovers New Pottery Near Mount Ararat」(2026年9月23日)
- [A] Lorence G. Collins & David F. Fasold「Bogus "Noah's Ark" from Turkey Exposed as a Common Geologic Structure」Journal of Geoscience Education 44(4): 439-444(1996年)
- [B] Israel Hayom「New evidence sparks debate: Could this be Noah's Ark?」(2025年3月12日)
- [B] Arkeonews「Researchers Suggest That the 5000-Year-Old Boat-Shaped Mound May Be Fossilized Remains of Noah's Ark」(2023年)
- [A] 旧約聖書『創世記』6章15節・8章4節
- [B] Irving Finkel『The Ark Before Noah』(Hodder & Stoughton、2014年)
- [B] Wikipedia「Durupınar site」(1959年の航空写真と1960年の調査の経緯の確認に使用)
信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。






