ウズベキスタンの南、カシュカダリヤ州の畑の下から、火で真っ黒になった台が出てきた。高さ70センチ、幅90センチ。焼けた跡は表面の全体に回っていて、まわりを覆う粘土は2.5センチから3センチの厚さで、何度も何度も塗り直されていた。同じ場所で、同じ火を、何世代も絶やさずに燃やしつづけた人たちがいたということだ。そしてそのすぐ近くから、もうひとつ、鹿と木の彫られた箱が出た。棺ではない。骨だけを入れる箱である。肉が落ちきったあとの、乾いた骨だけを納めるための容器だ。2026年9月15日に公表されたこの発見は、「死者を土に埋めず、火でも焼かなかった人たち」がいつからそうしていたのかという、まだ答えの出ていない問いにつながっている。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていこう。

35ヘクタールの町の、北東のすみで
現場はオディルモンという名前の遺跡で、カシュカダリヤ州カマシ地区にある。古代にソグディアナと呼ばれた地域の東のはしだ。町の広さはおよそ35ヘクタール。道で四つの区画に分けられ、中央には方形の城塞があり、その城塞と町の外周の両方を防壁が囲んでいた。日干しの土に埋もれてはいるが、要するに城壁つきの都市である。
発掘を率いたのはサマルカンド考古学研究所のサンジャル・アブドゥラヒモフで、ウズベキスタン文化遺産庁が後ろについた。この遺跡に本格的な発掘の手が入ったのは、これが初めてだという。
問題の台は、町の北東側で見つかった。床には焼成レンガが敷かれている。1枚の大きさは18センチ×28センチ、厚さは2.5センチほど。その上に粘土の化粧が何層も重なっていた。層が重なっているということは、はがれたら塗り直し、またはがれたら塗り直し、を延々と繰り返していたということだ。日常の調理場でこんな手間はかけない。火そのものが目的だったと考えるのが自然になる。
一緒に出た土器の破片は50点を超えた。貯蔵用の甕、壺、容器、そして飲むための器。年代は紀元前3世紀から紀元2世紀、おそらく紀元3世紀まで届く。ざっと600年間、人がいた町ということになる。同じカマシ地区では、同じ研究所が2023年からバブルテパという別の城塞都市を掘っていて、そちらでは大広間と色の残った壁画の断片、土器工房や石細工の工房まで出ている。年代もほぼ重なる。ヘレニズムの時代からクシャーナ朝のころまで、この一帯にはそれなりに密度のある都市の網があったわけだ。

骨だけを入れる箱、という発想
もうひとつの出土品が、この回の本題だ。表面に鹿と、アルチャ(テュルケスタン・ビャクシン)らしき木の模様が線で彫られた箱。いまは修復作業の途中で、模様が何を意味するのかはこれから調べるという段階にある。
この種の容器は、学術的にはアストーダーンと呼ばれる。ペルシア語で「骨(アスト)」に「入れもの(ダーナ)」で、そのまま「骨入れ」である。名前として記録に残っている最も古い例は、紀元前4世紀初めの、小アジアのリュキア地方リミュラにあるアラム語の墓碑銘だ。そこには「エルジフィヤの子アルティマが、このアストーダーナを造った」と刻まれている。中を見ると、遺体をそのまま寝かせる空間ではなく、ばらばらになった骨を入れるための小さな穴がいくつも並んでいた。
つまり、この箱は棺ではない。棺として使うには小さすぎるし、そもそも構造が違う。骨だけが入るということは、骨だけになるまでの工程が、どこかに必ずあったということだ。
似た形の骨箱は、はるかに後の時代にもある。ウズベキスタン西部のミズダハン墓地からは、5世紀から8世紀の装飾つきの骨箱がまとまって出ている。オディルモンの一点は、その系譜をさらに600年ほどさかのぼることになる。

土も水も火も汚してはいけない、という一点
その工程の理由は、意外なほど単純な理屈から出ている。ゾロアスター教と、その祖先にあたる古代イランの信仰では、土と水と火は神聖なものとされた。一方で、人が死んだ瞬間にその体には「ナス」と呼ばれる死の穢れが入り込み、触れたものを片端から汚していくと考えられていた。
ここから先は引き算である。土に埋めれば大地が汚れる。焼けば火が汚れる。川に流せば水が汚れる。神聖なものを汚さずに死者を処理する方法は、理屈のうえでひとつしか残らない。どれにも触れさせず、そのまま外気にさらすことだ。
この考え方を条文の形にしたのがアヴェスターの『ヴェンディダード』で、書名そのものが「悪霊に対して与えられたもの」という意味を持つ。穢れをどう扱うかの規定集であり、墓や盛り土の塚は見つけ次第壊せ、とまで書いてある。自分たちの先祖の墓であっても、である。
実際にこの習俗を見て書き残した最古の部類の記録は、紀元前5世紀半ばのヘロドトスだ。マゴス僧は遺体を鳥と犬にさらす、と彼は書いている。ただしこのとき、まだ「塔」の話は出てこない。建物としての塔がはっきり記録に現れるのはずっと後の時代で、それ以前の人々がどんな施設を使っていたのかは、いまも議論が続いている。

運ぶ人と、犬に見せる手順
穢れが伝染するという前提を置くと、実務の側にしわ寄せが来る。遺体を運ぶ役目は、誰がやるのか。
その担当者はナサーサーラールと呼ばれた。アヴェスター語で「穢れの管理者」にあたる語で、英語ではナセサラールなどと綴られる。彼らは原則として二人一組で動き、日常生活の側からは距離を置かれた。運ぶ人に穢れが移ると考えられていた以上、これは排除というより制度である。仕事の性質上、誰かがやらなければ共同体が回らない。
もうひとつ、サグディードという手順がある。「犬の視線」という意味で、遺体のそばに犬を連れてきて、じっと見させる。犬の視線が死の穢れを退けるからだという説明が伝わっているが、死の確認を兼ねていたという見方もあり、断定はできない。ただ、この宗教で犬が特別扱いされてきたことは確かで、ヘロドトスが鳥と並べて犬を挙げているのも偶然ではないだろう。
一連の流れの最後に来るのが、さらされた骨をおよそ1年かけて風と日光で漂白し、乾いたところで容器へ移す作業だった。移し先は「犬・狼・狐、そして雨水が届かない場所」でなければならない、と規定されている。オディルモンで出た箱は、まさにこの最後の一手にあたる道具だ。鹿と木の模様は、その蓋を閉じたあとに誰が見るものだったのか。いまのところ発掘側は何も断定していない。

泥でできた輪と、消えたハゲワシ
では、さらす場所はどうなっていたのか。中央アジアには、その答えらしきものが丸ごと一基残っている。カラカルパクスタンのチルピクだ。
ヌクスから南へ43キロ、アムダリヤ川の右岸に、高さ40メートルほどの円錐形の丘が立っている。その頂上に、日干しレンガを積んだ巨大な輪がある。差し渡しはおよそ65メートル×79メートル、壁の高さは15メートル。壁の厚みは上で2〜3メートル、基部で5メートル前後ある。丘の斜面には約75段、長さ20メートルほどの階段がついていて、そこを登って上まで遺体を運んだ。土器から見た築造は紀元1世紀ごろ、7〜8世紀に壁の補修が入り、9〜11世紀には人が住みついている。いまはユネスコ世界遺産の暫定リストに載っている。
後世のインドの塔は、もっと整理された形になる。屋上が三重の同心円に区切られ、外側の輪に男性、中の輪に女性、いちばん内側に子どもを置く。中央には骨が落ちる穴があり、そこで1年ほどかけて骨が白くなっていく。炭と砂の層で濾した水だけが外へ抜ける仕組みまで備えている。ムンバイのマラバー・ヒルにあるものは、いまも稼働している。ボンベイ最初の塔が建てられたのは1672年で、施主の名前まで分かっている。
ところが1990年代から、この方式を支えていた部品が欠けはじめた。家畜に使われるようになった消炎鎮痛剤ジクロフェナクが、その死骸を食べたハゲワシに対して致死的に働いたのだ。インドのハゲワシは2008年までに97パーセント以上減った。政府は2006年に家畜用ジクロフェナクを禁止したが、鳥はすぐには戻らない。2001年ごろから、塔の屋上には太陽光を集める大きな鏡が並べられるようになった。熱で分解を早めるという発想だが、これが晴天でしか働かない。ムンバイにはモンスーンの季節がある。ハゲワシなら数分で終わっていた工程が、天気任せになった。ハゲワシを飼育して増やし、塔の周りへ戻す案も検討されている。宗教儀礼の存続が、猛禽の繁殖計画にかかっているという事態である。
イランのほうでは、20世紀のうちに塔が使われなくなった。医学校が解剖用の遺体を求めたために塔が破られたこと、都市が広がって「町から遠い丘」でなくなったことが効いたとされ、ヤズドでは1974年に使用が終わっている。代わりに造られたテヘラン郊外の墓地では、墓穴の内側を石とセメントで固めてある。遺体が土に直接触れないようにするためだ。方式は変わっても、譲らない一点だけは同じ場所に残っている。
まとめ
オディルモンで出た火の台と骨の箱は、まだ紀元前3世紀から紀元3世紀という広い幅でしか年代が決まっていない。誰が火を守っていたのか、箱に入っていたのが誰の骨だったのかも、発掘側は今のところ何も断定していない。それでも、火を絶やさない台と、骨だけを入れる箱がひと組で出てきたという事実は、それなりに雄弁だ。
私たちは「遺体をどう扱うか」から考える。彼らは「世界を汚さないためにどうするか」から考えて、その結論として遺体の扱いを決めた。順番が逆なのだ。丘の上の直径79メートルの輪も、ムンバイの屋上に並ぶ鏡も、出発点はそこにある。
2300年前に彫られた鹿と木の模様が何を意味していたのかは、修復が終わればもう少し分かるかもしれない。いまのところ言えるのは、あの箱を作った人たちが、死者の行き先よりも先に、世界の側の清潔さを心配していたらしい、ということくらいである。
出典・参考情報
- [A] Archaeology Wiki「Ancient Altar and Decorated Ossuary Unearthed at Odirmon」(2026年9月15日)
- [A] サマルカンド考古学研究所/ウズベキスタン文化遺産庁 オディルモン遺跡 発掘成果の公表(2026年9月)
- [A] Encyclopaedia Iranica「ASTŌDĀN(骨容器)」項
- [A] ユネスコ世界遺産 暫定リスト「Chilpik the Tower of Silence」(カラカルパクスタン、ウズベキスタン)
- [B] Arkeonews「Fire-Scarred Ritual Altar and Decorated Ossuary Unearthed at Ancient Odirmon in Uzbekistan」(2026年9月15日)
- [B] La Brújula Verde「An altar of fire and a 2,300-year-old chest found in Uzbekistan reopen the mystery of how the ancestors of the Zoroastrians buried their dead」(2026年9月15日)
- [B] Arkeonews「Archaeologists Uncover a 2,300-Year-Old Fortress City in Uzbekistan's Kashkadarya Oasis」(バブルテパ、2025年11月23日)
- [B] ヘロドトス『歴史』第1巻(マゴス僧の遺体処理についての記述)
- [B] アヴェスター『ヴェンディダード』(穢れと遺体の扱いに関する規定)
- [B] インドのハゲワシ激減とジクロフェナク規制、および沈黙の塔の太陽光集熱装置導入に関する各種報道・保全機関の集計
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