79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が噴火してポンペイとヘルクラネウムが埋まった。世界史の教科書に載っている、あの日付である。2026年8月24日で、ちょうど1947年。ところが2018年、この日付は「間違いだった」ということになった。壁に炭で書かれた一行の落書きが見つかったからだ。世界中の新聞が「歴史が書き換えられる」と報じた。それから8年。いまポンペイ遺跡公園の公式見解は、こうである。「8月24日以外の日付は、すべて創作だ」。人類がいちばん有名な災害の日付をめぐって、何をやっていたのかという話をする。

目撃者の手紙は、25年後に書かれた
まず確認しておくと、この噴火に日付を与えている文献は、世界にたった一つしかない。小プリニウス(Pliny the Younger)の手紙である。
彼は噴火の当日、ナポリ湾の対岸ミセヌムにいた。艦隊司令官だった伯父の大プリニウスは、噴煙を調査しようと船を出し、そのまま亡くなっている。小プリニウスはその一部始終を、歴史家タキトゥスに宛てた2通の手紙に書き残した。ここが最初の落とし穴で、この手紙が書かれたのは107年の暮れから108年の初め。事件から実に25年以上が経っている。
その手紙にある日付の表記が「nonum kal. Septembres」。9月の朔日(ついたち)から数えて9日目という意味だ。ローマ式の数え方は始点と終点の両方を数えるので、8月24日・25日・26日・27日・28日・29日・30日・31日・9月1日で9日。つまり8月24日になる。
これが2000年近く、動かない日付として扱われてきた。

写本によって、日付が違う
問題は、小プリニウスの手紙の原本が現存していないことである。私たちが読んでいるのは、中世の写字生が手で写した写しの、写しの、写しだ。
もっとも完全な写本のひとつは、9世紀の「ラウレンツィアヌス・メディチ写本(Codex Laurentianus Mediceus)」。ここには確かに8月24日と書かれている。ところが他の写本を並べると、話が違ってくる。
パリにある15世紀の写本は「nonum kal.」までしか書いておらず、月名がない。1474年に印刷された版は「November Calend」=11月1日。さらに3つの版は「Kl. Novembres」となっていて、これは「nonum kal. Novembres」=10月24日が崩れたものだと考える研究者もいる。そして1797年、ナポリの司教で古典学者だったカルロ・マリア・ロジーニが、テキストを「IX Kal. Decembris」に修正した。11月23日である。
写本を並べ替えるだけで、噴火は3か月ぶん移動してしまう。日付というのは、案外もろい情報なのだ。

遺跡は「秋」と言っている
18世紀にポンペイが再発見されて以来、「あれは秋の出来事だったのでは」と言い続けてきた人々がいる。根拠は文献ではなく、掘り出されたモノだった。
火山灰の空洞から作られた石膏像には、厚手の衣服を着た犠牲者がいる。南イタリアの8月にそれはない。家々からは火鉢が大量に見つかっている。これも真夏の道具ではない。
食べ物の痕跡もある。ザクロ、クルミ、栗といった秋の収穫物が遺跡内に散らばっていた。さらに1枚のコイン。ひどく摩耗しているが、皇帝ティトゥスが「15回目の勝将軍(インペラトル)」であることを記した銘があった。ティトゥスが14回目だと記す別の文書が79年9月初頭に存在するので、このコインはそれより後に作られたことになる——というのが、秋説側のいちばん強い手札だった。
風の話まで出た。火山灰の降り積もり方から推定される高層風は南東寄りで、現在この地域でその風向が卓越するのは秋である。
もっとも、反論もいちいち用意されている。厚着は逃げるときに火山灰から身を守るために着込んだのかもしれない。火鉢は暖房だけでなく調理にも使う。ポンペイで見つかった魚醤ガルムの分析では、原料の魚が夏に多く獲れる種だった。ザクロは食用ではなく布の染色用に保存されていた可能性もある。コインの鋳造時期は、専門家のあいだで長く合意がなかった(この点には2026年に新しい分析が出た。後で触れる)。
つまり、モノの証拠はどちらにも読める。

壁に残された、炭の走り書き
2018年10月、この論争に決定的な物証が現れたように見えた。
ポンペイ第5区の「庭園の家(House of the Garden)」で、修復工事の作業員が書いたと思われる落書きが壁から出てきたのだ。文面は、11月の朔日から16日前——つまり10月17日の日付に続けて、「彼は度を越して食べ物にふけった」という、まあ、たいした内容ではないことが書かれていた。
重要なのは内容ではなく、材料だった。炭である。当時の遺跡責任者マッシモ・オサンナはこう述べた。壊れやすく消えやすい炭で書かれたのだから、長くもつはずがない。であればこれは79年10月に書かれた可能性が高い、と。
10月17日に落書きが書かれ、その1週間後の10月24日に噴火した。きれいな話である。BBCもCNNも科学誌サイエンスも報じた。2019年にはゲティ美術館の学芸員が「証拠の均衡はいま秋に傾いている、おそらく10月24日だろう」と書いている。教科書の日付が変わる、と誰もが思った。

考古学者が、自分で壁に炭で書いてみた
ここからが、この話の面白いところだ。
ポンペイ遺跡公園は、この炭の議論を検証するために、実験をやった。難しい機械は使っていない。2023年10月12日、落書きが見つかったのと同じ壁に、自分たちで炭で文字を書いたのである。
そして放置した。10か月後——2024年8月24日、つまり伝統的な噴火記念日にあたる日に確認したところ、文字は完璧に読める状態で、しかも書きたてのように新しく見えた。
これで前提が崩れた。炭は消えやすいから直前に書かれたはずだ、という推論の「消えやすいから」が成り立たない。公園の報告はこう結論している。あの落書きが78年10月17日に書かれた可能性を排除できない。すなわちプリニウスの言う8月24日の、10か月と少し前だ。
決定的物証は、決定的ではなくなった。

「8月24日以外はすべて創作」という結論
流れを変えたもう一つの要因が、2022年に出たペダー・フォス(Pedar W. Foss)の研究書『Pliny and the Eruption of Vesuvius』である。フォスは写本の系統を徹底的に洗い、8月24日以外の日付はいずれも写本の伝統に根拠を持たない後世の産物だと論じた。
そして2024年12月、ポンペイ遺跡公園は自前の電子ジャーナルに「ポンペイ破壊の日付」という論文を出し、10月説・11月説への反論を並べた。公園のウェブサイトには、8月24日以外の日付はすべて創作である、という一文が掲げられることになる。
この論文にはもう一つ、こちらの思い込みを崩す指摘がある。古代の歴史家カッシウス・ディオは、噴火は「秋」に起きたと書いている。だから8月はおかしい、と長く言われてきた。ところがローマ人の季節区分では、秋は8月の初めに始まっていた。夏至や冬至は季節の始まりではなく、その季節の頂点とみなされていたからだ。ディオの「秋」と8月24日は、まったく矛盾しない。
栗やザクロについても反論がある。地球の気候は化石燃料が使われる前から動いていて、2000年前の収穫期が現在と同じとは限らない。
ただし公園は、これで決着したとは言っていない。論文自身が「小プリニウスが間違っていた可能性はある。実際、ヴェスヴィオ周辺の発掘は8月説を疑うに足る要素を提供してきた」と書いて終わっている。反論はしたが、勝利宣言はしていない。

2026年9月、火山の石が「8月」の側についた
この記事を最初に書いたのは、2026年8月24日。伝統的な噴火記念日だった。その1か月後、この論争にまた一つ、思わぬ方向から材料が加わった。
2026年9月25日、カリフォルニア大学バークレー校とバークレー年代学センター、イタリアのパドヴァ大学のチームが、科学誌サイエンス・アドバンシズに論文を出した。題名は「小プリニウスが地質年代学を前に進める(Pliny the Younger advances geochronology)」。率いたのは地質年代学者のポール・レネ(Paul Renne)である。
彼らがやったのは、ポンペイの隣町オプロンティスで集めた軽石から、サニディンというカリウムを含む鉱物の粒を取り出し、アルゴン・アルゴン法という放射年代測定にかけることだった。火山岩の年代を測るのに世界中で使われている方法で、ふつうは数万年、数百万年という単位で使う。それを、日付がわかっている噴火で試したのである。8つの試料から出た答えは、分析した2025年から数えて1938年前、誤差はプラスマイナス13年。実際の経過は1946年なので、きちんと幅の中に収まった。副産物として、カリウム40がアルゴンに変わる崩壊の半減期も120億4400万年と求め直され、精度はこれまでの2倍になった。
面白いのは、ここで物差しの向きが逆になっていることだ。チームは小プリニウスの8月24日を計算の基準に置いた。ただし秋説に配慮して、前後2か月の幅を持たせている。そのうえで共著者で大学院生のキャロライン・ハスラー(Caroline Hasler)が、秋説のいちばん強い手札だったティトゥスのコインを、同時代のほかのローマ硬貨と突き合わせた。結論は、このコインはおそらく9月より前に作られていた、というものだった。コインは8月と矛盾しない、という読み方が出てきたわけだ。
もちろん、放射年代測定で噴火の「月」まで決めることはできない。13年の誤差は、2か月の論争を裁くには粗すぎる。この研究は日付を証明したのではなく、8月24日を信じて物差しを作り、その物差しが正しく動くことを確かめたものだ。それでも、噴火のとき17歳だった青年が、のちに書き残した手紙が、地球の歴史を測る道具の目盛り合わせに使われている。なかなかに痛快な話である。
この話から持ち帰れること
いま言えることを整理すると、こうなる。噴火が79年に起きたことは確定している。文献上の日付は8月24日ただ一つで、それ以外の日付は写本の崩れや近世の推測に由来する。遺跡から出るモノは秋を示唆するものと夏を示唆するものが両方あり、決着していない。2018年の炭の落書きは、日付をずらす根拠としては弱い。秋説の柱だったコインも、2026年には「9月より前の鋳造」とみる分析が出た。
そして、この8年で起きたことのほうが面白い。世界中のメディアが一斉に「歴史が書き換えられた」と報じた根拠は、たった一つの推論——炭はすぐ消える——だった。それを崩したのは新技術でもDNAでもなく、同じ壁に自分で炭で書いて10か月待つという、小学生の自由研究みたいな実験である。
強い主張の根っこには、たいてい検証されていない前提が1個か2個ある。そしてその前提は、たまに、驚くほど安く確かめられる。1947年前の火山が教えてくれるのは、そういうことかもしれない。
出典・参考情報
- [A] ポンペイ遺跡公園 e-journal「La data della distruzione di Pompei」(2024年12月)
- [A] 小プリニウス『書簡集』第6巻16・20(噴火の目撃記録、107〜108年執筆)
- [B] Getty「When Did Vesuvius Erupt? The Evidence for and against August 24」(2019年8月23日)
- [B] Artnet News「Pompeii Experts Back Up Pliny’s Historical Account of Vesuvius Eruption」(2024年12月13日)
- [B] BBC News「Pompeii: Vesuvius eruption may have been later than thought」(2018年10月16日)
- [B] Science(AAAS)「Ancient graffiti shifts date of Pompeii’s destruction back 2 months」(2018年10月)
- [B] Pedar W. Foss『Pliny and the Eruption of Vesuvius』(2022年)
- [B] Archaeology Magazine「Timing of Vesuvius Eruption Settled」(2024年12月19日)
- [B] National Geographic「When did Mount Vesuvius erupt? Experts can’t seem to agree.」
- [A] Renne ほか「Pliny the Younger advances geochronology」Science Advances(2026年9月25日)
- [B] Berkeley News「The eruption that destroyed Pompeii is helping scientists date Earth's history」(2026年9月25日)
- [B] ScienceDaily「Pompeii's 2,000-year-old eruption just gave scientists a better clock for Earth's past」(2026年9月28日)
信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。
改定ログ
- 2026年10月6日:2026年9月25日にサイエンス・アドバンシズに出たアルゴン・アルゴン法の研究(オプロンティスの軽石・1938±13年前、ティトゥスのコインは9月より前の鋳造とみる分析)を新しい節として追加し、出典3件を追加。冒頭の「今日」を日付に改め、コインの記述とまとめを更新。タイトルを変更(slug は不変)。





