2026年9月18日、アメリカの国防総省――いまは戦争省と名前が変わっている――が、UFOに関する記録の6回目の公開を行った。出てきたのは71件。映像が15本、文書が55点、そして音声が1本である。ニュースの見出しをさらったのは、赤と青と緑に光りながら音もなく飛んだという物体や、時速770キロメートルほどで隊列を組む金属質の球のほうだった。けれども、この束のなかでいちばん妙なものは映像ではない。1952年3月26日に、ひとりの空軍大尉がおよそ1時間しゃべりつづけた録音である。しゃべっている本人は、のちに「UFO」という言葉そのものを世に出した男だった。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていこう。

9月18日に出てきた71件の中身
この公開は、単発の気まぐれではない。2026年2月にアメリカ大統領が各機関へ指示を出し、同年5月8日に専用の公開システムが動きはじめた。名前を「大統領によるUAP遭遇の開封および報告システム」という。長いので、関係者は頭文字でパースーと呼ぶ。5月8日の1回目が160件あまり、5月22日の2回目が文書222点と音声51本ほど。6月12日、7月10日、8月7日と続いて、今回が6回目にあたる。
中身の内訳は、PDFが55点、映像が15本、音声が1本。年代は1952年から2025年までにまたがっている。71件のうち67件は戦争省が出したもので、残りの4本はコロラド州の警察から寄せられた映像だった。そして71件のうち64件には黒塗りが入っている。目撃者を守るため、そして軍の保安のため、という説明がついている。
個別の中身を並べると、こうなる。1950年11月の沖縄では、正体のわからない物体が目撃され、回収は現実的でないと判断された。2023年の東シナ海では、インド太平洋軍が59秒の赤外線映像を出してきた。2025年の中東では、金属質に見える球がいくつも、時速770キロメートルほどで編隊を組んでいた。2023年10月のコロラドでは、赤と青と緑に点滅しながら、音も立てずに動く何かを警察官が撮っていた。どれも判定は「未解決」である。

1952年3月26日、大尉が1時間しゃべったテープ
その71件に、たった1本だけ音声が混ざっていた。1952年3月26日に空軍内部で行われた説明会の録音で、長さはおよそ1時間。話しているのはエドワード・J・ルペルト大尉という人物である。
この名前を知っている人は多くないが、われわれが当たり前に使っている単語を作ったのは、この男だ。当時の軍は「空飛ぶ円盤」という呼び方に困っていた。円盤と言ってしまうと、丸いものしか指せない。実際に報告されるものは、葉巻型もあれば、三角形もあり、ただの光の点もある。そこでルペルトは、形も性能も問わない言い方として「未確認飛行物体」という表現を持ち出した。英語の頭文字をつなげると、UFOになる。
ルペルトは1923年7月17日に生まれ、第二次世界大戦では爆撃手として従軍している。星章を五つ、殊勲飛行十字章を二つ受けた。戦後に航空工学の学位を取り、1949年には「プロジェクト・グラッジ」を、1952年3月にはその後継の調査計画を任された。この録音は、まさに就任の月のものである。
テープのなかで彼が話しているのは、宇宙人の話ではない。調査のやり方の話だ。回折格子をレンズの前に入れて撮影すれば、光っているものの成分がわかる。カメラとレーダーの時刻を合わせておけば、映像と反射の両方から同じ物体を押さえられる。要するに、証言に頼らず物証を残すにはどうするか、という設計図をしゃべっている。この録音は、ミズーリ州選出のエリック・バーリソン下院議員が長いあいだ求めていたものだった。

800件のうち5分の1が残る、という数字
ルペルトはその席で、ひとつの数字を出している。それまでに集まった約800件を技術的に検討したところ、信頼できる目撃者によるもののうち、およそ2割が説明のつかないまま残った、というのだ。
この「2割」は、あとあとまで一人歩きする数字になる。ただし中身をよく見ると、もうひとつ興味深い偏りがある。報告が集中していたのは、ロスアラモスとオークリッジの周辺だった。どちらも核開発の中枢である。レーダーが拾った速度には、時速1,600キロメートルから5,600キロメートルというものまであった。
ここで大事なのは、「説明がつかない」と「宇宙から来た」がまったく別の意味だということである。前者は、資料が足りない、写真が粗い、目撃者がもう追跡できない、という状態も含む。ルペルトが任された調査計画は1952年から1969年まで続き、最終的に12,618件を集めて、そのうち701件を未解明として閉じた。全体でみれば、およそ5.6パーセントにあたる。
そしてルペルト自身は、1956年に自分の体験をまとめた本を出したあと、1960年の増補版で立場を大きく動かした。UFOとは宇宙時代の神話である、と書いたのである。その本が出て間もない1960年9月15日、彼は二度目の心臓発作で亡くなった。37歳だった。

同じ箱に入っていた、ユタの映像
今回の71件には、もうひとつ、教科書に載るような古い一件が入っていた。1952年7月2日、午前11時。ユタ州トレモントンから11キロメートルほど手前の道路で、車を停めた男がカメラを回した。
撮ったのはデルバート・C・ニューハウス准尉。海軍に19年いて、空中写真の撮影だけで1,000時間を超える経験を持つ、写真の専門家である。機材はベル・アンド・ハウエルの16ミリカメラに三インチの望遠レンズ、フィルムはコダクロームの昼光用、毎秒16コマ。空に見えたのは、彼の言い方によれば「10個から12個ほど」で、やがてそのうちのひとつが群れから離れていった。
このフィルムは、アナコスティアにある海軍の写真判読研究所へ送られた。技師たちはのべ1,000時間を費やして解析し、こう結論している。鳥ではない。気球でもない。航空機でもない。光を反射しているのではなく、自ら光っているように見える、と。
ところが、話はそこで終わらなかった。1953年1月に開かれた科学者の委員会で、委員のひとりだったソーントン・ペイジが「カモメではないか」と述べ、それが委員会としての結論になってしまう。調査計画の責任者だったルペルトは、海軍の解析を受けてこのフィルムを科学者たちに見せた側である。つまり彼は、自分が持ち込んだ物証が、会議室でひとことの推測に置き換えられる場面に立ち会っている。今回の公開でおもしろいのは、その内部のやりとりの記録が、映像といっしょに同じ束へ入って出てきたことだ。

ワープドライブと、脱毛と、37本の報告書
公開された文書のなかで、いちばん奇妙な一群は、2008年から2012年にかけて走っていた先進航空宇宙兵器システム応用計画のものである。この計画が作らせた参考文書が、37本まとめて出てきた。
表題を並べると、ワープドライブ、ワームホール、反重力、負の質量による推進、そして不可視化。いずれも、当時の物理学で真面目に論じるとどこまで書けるか、という体裁のものである。そのなかの2010年の一本には、異常な航空現象に接近したとされる人々の健康被害が書かれていた。皮膚が赤くなる、髪が抜ける、放射線障害を思わせる兆候が出る、といった記述である。
ここは、はっきり区別しておきたい。戦争省はこれらについて「参考のためのまとめであって、確認された知見ではない」と念を押している。つまり、政府がワープドライブの実在を認めた文書ではない。研究者に費用をはらって「もし可能なら、どんな理屈になるか」を書かせた紙が、16年たって表へ出てきた、というだけのことだ。それでも、こういう紙が国防の予算で作られていた事実そのものは、じゅうぶんに奇妙だ。

それでも「決定的な証拠はない」と書いてある
では、六回の公開を通して、何か決定的なものは出てきたのか。担当する全領域異常解決室の答えは、いまのところ一貫している。検討したどの事例にも、地球外の技術であることを検証できる証拠はない。多くの件が未解決のまま残っているのは事実だが、未解決は結論ではない、という立場である。
戦争長官のピート・ヘグセトは、この取り組みを「前例のない透明性」と表現した。一方で、科学者や懐疑派の反応はおおむね冷ややかだった。出てきた映像の大半は、レンズの反射や結露といった光学的な副産物、あるいはぼやけた塊で、なかには何十年も前から公開されていた素材も混じっている。気球やカメラの欠陥で説明がつくものも少なくない。地球外知的生命体を探しているセティ協会のセス・ショスタクも、いまのところ説得力のある証拠はない、と述べている。
それでも2026年9月14日、戦争省はひとつだけ、これまでと違う手を打った。守秘義務の契約に縛られていた現職と元職の職員が、UAPに関する情報を公開システムの担当者へ直接話してよい、という法的な免除を出したのである。紙と映像はもう出尽くしつつある。次に出てくるとすれば、人の口からだろう、というわけだ。
まとめ
2026年9月18日に出てきた71件は、UFOの正体を教えてくれる束ではなかった。むしろそこにあったのは、74年ぶんの「調べようとした記録」である。回折格子を使え、レーダーと時計を合わせろ、とテープのなかで指示する大尉。のべ1,000時間かけて「鳥ではない」と書いた技師たち。会議室でそれを「カモメ」にした科学者。そして、2割という数字だけが独り歩きしていく74年である。
未解明という言葉は、答えではなく、そこで手が止まったという印にすぎない。今回いちばん長く残る一件が、派手な赤外線映像ではなく、1952年の肉声だったというのは、そのことをよく表している。ついでに覚えておこう。空に妙なものを見たとき、それを「空飛ぶ円盤」と呼ばずに済むのは、37歳で亡くなったひとりの元爆撃手のおかげである。
出典・参考情報
- [A] アメリカ戦争省(国防総省)/PURSUE「UAP関連記録 第6次公開」(2026年9月18日)
- [A] 全領域異常解決室(AARO)の公式見解、および戦争省による守秘義務免除の告知(2026年9月14日)
- [B] EarthSky「6th batch of Pentagon UAP files」(2026年9月18日)
- [B] Latin Times「Pentagon's New UAP Release Unlocks Decades Of Cold War Files And Orbs」(2026年9月19日)
- [B] CBS News「Pentagon releases new batch of UFO files」(2026年8月7日)
- [B] エドワード・J・ルペルト『The Report on Unidentified Flying Objects』(1956年、増補版1960年)
- [B] Patrick Gross 編「The Tremonton, Utah, UFO Color Film of July 2, 1952」資料集成
- [B] Wikipedia「United States UFO files」「Edward J. Ruppelt」(2026年9月閲覧)
信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。






