黒いスーツに身を包んだ、異様に背の高い、顔のない男。森の奥や子どもの背後に、音もなくたたずんでいる――。「スレンダーマン(Slender Man)」は、今や世界中で語られる現代の怪談の代表格です。何百年も前から伝わる古い妖怪のように見えますが、この怪人には、発祥も、生みの親も、生まれた日付まで、はっきり分かっています。昔からの言い伝えではなく、出自のはっきりした「創作」、いわゆるネットロアなのです。ところが2014年、この作り話を本物だと信じた子どもたちによる、痛ましい事件が起きました。そしてその事件は、2025年になっても終わっていませんでした。今日は、顔のない怪物の誕生から拡散、現実の事件、そして最新の続報までを、事実と創作に分けて振り返り、ネット時代の教訓としていきましょう。

“顔のない長身の男”とは何者か
まず、スレンダーマンがどんな存在として描かれるのか、確認しておきましょう。黒いスーツを着て、不自然なほど背が高く、肌は青白く、そして何より、のっぺりとして顔がない。背中からは、ときに触手のような枝が伸び、森の中にひそんだり、子どもをじっと付け狙ったりする、とされています。
この造形は、いかにも世界中の古い民話に出てきそうです。けれど、その正体ははっきりしています。2009年にインターネットの中で“作られた”、一人のキャラクター。実際に目撃された怪談ではなく、誰が、いつ、どんな意図で生み出したかまで分かっている「創作系」の都市伝説なのです。ここを最初に押さえておくと、この後の話が、ぐっと面白く、そして重く感じられるはずです。

2009年、1枚の合成写真から生まれた
スレンダーマンの初出は、日付までピンポイントで特定できます。2009年6月10日、アメリカの大型掲示板「Something Awful(サムシング・オーフル)」で、画像加工ソフトを使って「超常的な、不気味な画像を作る」というお題の投稿企画が開かれていました。
そこに、エリック・クヌーセン(Eric Knudsen)というユーザーが、「ヴィクター・サージ(Victor Surge)」という名前で2枚の画像を投稿します。子どもたちが写った古い白黒写真に、背の高い、細身のスーツ姿の人影をそっと合成し、それぞれに証言風の短い説明文を添えたのです。1枚目には「1983年撮影。撮影者は不明、死亡したとみられる」。2枚目には「1986年撮影。撮影者はその年の6月13日から行方不明」。2枚目の説明には、町の図書館の火事と、14人の子どもが消えたという作り話まで書き込まれていました。
これが、世界的な怪人スレンダーマン誕生の瞬間です。クヌーセンは影響を受けたものとして、ラヴクラフト(H. P. Lovecraft)の怪奇小説、スティーヴン・キングの『霧』、アメリカの怪人モスマン、そして映画『ファンタズム』に出てくる長身の男などを挙げています。狙いは、「動機がほとんど理解できず、人々に漠然とした不安と恐怖を与える存在」。理由の分からないものほど怖い――人間の心理を見事に突いた創作でした。

ネットが育てた“集合的な怪物”
本当に面白いのは、ここからの広がり方です。クヌーセンの投稿から数日のうちに、ほかのユーザーたちが、次々と独自の設定を“上書き”し始めました。
「背中から触手が生える」「見た者の記憶を失わせる」「森にひそんで子どもをつけ狙う」――。今、私たちが知っている特徴の多くは、一人の作者が決めたものではなく、顔も名前も知らない無数の人々が少しずつ付け足していったものです。インターネットという場所が共同で育てた「集合創作」で、こうしたネット発の怖い話は「クリーピーパスタ(creepypasta)」と呼ばれます。
これは、昔の妖怪伝説が人の口から口へ語り継がれるうちに姿を変えていった過程と同じです。それを、ネットが数か月という超高速で再現してみせた。民俗学の研究者たちが、スレンダーマンを「デジタル時代の伝説」の実例として何冊もの研究書にまとめているのも、そのためです。

映像とゲームが、怪物を世界へ運んだ
拡散をさらに加速させたのが、動画という新しい器でした。投稿からわずか10日後の2009年6月20日、YouTubeで「マーブル・ホーネッツ(Marble Hornets)」というシリーズが始まります。学生映画の撮影を投げ出した友人が残したテープを調べていくと、あの顔のない男が映り込んでいる……という、ドキュメンタリー風の作りでした。シリーズは2014年まで続き、チャンネルの登録者は2025年の時点で70万人を超えています。
2012年には、暗い森の中で8枚のメモを集めるだけのシンプルなゲーム『Slender: The Eight Pages』が公開され、配布サイトが落ちるほどダウンロードが殺到しました。ゲームの実況動画を通じて、スレンダーマンは子どもたちにとっても身近な存在になっていきます。2018年には、ソニー傘下のスクリーン・ジェムズが映画『スレンダーマン』を公開しました。
文章から画像へ、画像から動画へ、そしてゲームと映画へ。一つの創作が、メディアの進化に乗って、新しい世代のファンを獲得し続けたのです。ちなみに、生みの親はクヌーセンですが、映像化などの権利は第三者が持っているとされ、その持ち主は今もはっきりしていません。

創作が、現実とまざるとき
しかし、スレンダーマンの物語には、忘れてはならない重い出来事があります。2014年5月31日、アメリカ・ウィスコンシン州ウォキショー(Waukesha)の公園の森で、12歳の少女2人が、同じ12歳の同級生を刃物で何度も刺し、命に関わる重傷を負わせました。被害者は自力で道路まではい出し、通りかかった自転車の人に見つけられて、一命を取り留めました。
2人は捜査に対し、スレンダーマンに認められて“しもべ”になりたかった、そうしなければ家族が危ない、と話したと報じられています。作り話を本物だと信じ込んでいたのです。のちに1人は、幼くして発症した統合失調症と診断されました。2人は大人と同じ法廷で裁かれましたが、心の病気のために責任は問えないとされ、2017年から2018年にかけて、それぞれ最長25年と40年の、精神科の施設への収容が決まりました。
事件から5日後、クヌーセンは被害者と家族を気遣う声明を出しました。一方で、2018年の映画には公開の中止を求める署名が集まり、地元の映画館の一部は上映を見送りました。創作は自由です。けれど、受け取る側には、フィクションと現実の線を引く力が必要です。そして、まだその力が育ちきっていない子どもを、周りの大人が見守る必要がある。この事件は、その当たり前を、重く突きつけました。

事件から11年、2025年の続報
事件は、判決で終わったわけではありませんでした。収容期間の短かった1人は、2021年に条件付きで退院が認められ、地域での生活に移りました。もう1人も、治療の経過が良いとする専門家の意見を受けて、2025年7月、監督のもとでグループホームに住むことを条件に退院が決まり、ウィスコンシン州マディソンの施設に移りました。
ところが2025年11月22日の夜、彼女は居場所を知らせる足首の監視装置を切って、施設から姿を消します。まもなく、およそ300キロ離れたイリノイ州の町で、知人の男性と一緒にいるところを警察に見つけられました。そして同じ年の12月23日、裁判官は条件付きの退院を取り消し、彼女を再び州の精神科病院へ戻すことを決めました。
いっぽう被害者の少女は、2019年に初めてテレビのインタビューに応じ、事件をきっかけに医療の道を目指すようになったと語りました。ネットで生まれた顔のない怪物の名前は、11年たった今も、現実の人々の人生に影を落とし続けています。
まとめ
そもそも、なぜ「顔がない」という設定が、これほど人を怖がらせるのでしょうか。人間の脳は、相手の表情から感情や意図を読み取ろうとする仕組みを持っていると言われます。顔のないスレンダーマンを前にすると、その読み取りがまったくできない。何を考えているのか、敵なのか味方なのか、いっさい分からない。この“分からなさ”が、本能的な不安をかき立てるのです。クヌーセンが狙った「動機が理解できない恐怖」は、まさにこの急所を突いていました。
発祥は2009年6月10日の掲示板。生みの親は、エリック・クヌーセンという一人のユーザー。育ての親は、ネットに集う名もなき群衆たち。スレンダーマンは、現代の怪談が生まれ、広がっていく過程をまるごと見せてくれる貴重な例であり、同時に、物語の出どころを見失ったときに何が起こりうるかを示した例でもあります。怖がる前に、まず「これは実話か、創作か」「どこから来たのか」を確かめる。その一手間こそが、ネット時代の怪談を安全に楽しむための、いちばんの安全弁なのです。
2026年10月9日改定:マーブル・ホーネッツ、ゲーム、映画による拡散をまとめた節「映像とゲームが、怪物を世界へ運んだ」と、2025年の条件付き退院・失踪・退院取り消しを伝える節「事件から11年、2025年の続報」を追加。初出の日付(2009年6月10日)と投稿画像の説明文、作者が挙げた影響元、2014年の事件の経過と判決、作者の声明を追記。タイトルと出典を更新。
出典・参考情報
- [B] Wikipedia「Slender Man」
- [B] Wikipedia「Slender Man stabbing」
- [B] Wikipedia「Marble Hornets」
- [A] AP通信(KSLA 掲載・2025年12月23日)「Judge sends Slender Man attacker back to mental health institution after group home escape」
- [A] ABC7(2025年11月)グループホームからの失踪と身柄確保を伝える記事
- [A] Newsweek「How Slenderman, the Internet's Horror Star, Crawled out of Creepypasta」
- [B] CBS News「The Slenderman legend: Everything you need to know」
信頼度 A=大手通信社・大手報道/B=百科事典(一次資料への参照集)・定評メディア。スレンダーマンが2009年6月10日にSomething Awfulでエリック・クヌーセン(Victor Surge)が創作したネットロアであることは確定。事件については裁判記録と報道で確認できる事実に限り、加害者・被害者の氏名は記さない。






