未解決事件・失踪

タマム・シュッド事件――浜辺の紳士は誰だったのか、74年後にDNAが出した答え

未解決事件・失踪公開 2026年7月22日更新 2026年10月5日ザツレコ編集部
タマム・シュッド事件――浜辺の紳士は誰だったのか、74年後にDNAが出した答え

1948年、オーストラリアの浜辺で身元不明の紳士の遺体が見つかった。服のラベルは切り取られ、ポケットには「終わった」という意味のペルシャ語の紙片と、誰にも解けない暗号。74年後の2022年、デスマスクの髪の毛のDNAがついに一つの名前を差し出した――だが、彼がなぜ死んだのかは、いまも分かっていない。

世界には、解けないまま何十年も人を惹きつづける謎がいくつかある。そのなかでも、これほど「上品で、静かで、それでいて不気味」な事件はそう多くない。1948年12月1日の朝、オーストラリア南部の都市アデレードにあるサマートン・ビーチ(Somerton Beach)で、砂浜の防波堤にもたれるようにして、一人の男性が死んでいた。年のころは40代半ば、身長はおよそ180センチ、鍛えられた体つき。仕立てのよいスーツをきちんと着込み、靴はぴかぴかに磨かれていた。まるで、ちょっとした約束にでも向かう途中で、ふと腰を下ろしたまま眠ってしまったかのように。ところが、彼が誰なのかを示すものは、どこにもなかった。財布もなければ、身分証もない。そして服からは、すべてのラベルが丁寧に切り取られていた。この事件は、ポケットから見つかった一枚の紙片に書かれた言葉から、のちに「タマム・シュッド事件(Tamam Shud case)」と呼ばれることになる。意味は、「終わった」。オーストラリアがもっとも長く抱えてきたこの謎に、2022年、ようやく一つの名前が与えられた。ただし、それで話が終わったわけではない。

1948年12月1日、サマートン・ビーチ

まずは、確かな事実から並べていく。遺体が発見されたのは1948年12月1日の午前6時半ごろ。前日の夜、この男性が防波堤のそばに座っている姿は、複数の人に目撃されていた。ある夫婦は、彼が腕を投げ出したまま身じろぎもしないのを見て「酔っているのだろう」と思ったと証言している。蚊が顔にたかっても、男は動かなかった。翌朝、同じ場所で、彼は冷たくなっていた。検死がおこなわれたが、状況はいよいよ奇妙になっていく。持ち物は、使いかけの列車の切符、バスの切符、アメリカ製のガム、櫛、タバコの箱――ただし中身は別の銘柄のタバコ――など、ごくありふれた日用品ばかり。そのどれにも、名前を書いたものはなかった。着ていた服のブランドタグや洗濯ネームは、ことごとくハサミで切り取られている。歯の治療痕から身元をたどろうとしても、世界のどの記録とも一致しない。指紋を各国の警察に照会しても、該当者は現れなかった。一人の身なりのよい紳士が、まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、砂浜に横たわっていたのである。

ラベルを切り取られた服

事件を有名にしたのは、発見からしばらくたって見つかった、たった一枚の小さな紙片だった。遺体のズボンには、時計を入れるための小さな「フォブポケット」と呼ばれる隠しポケットが縫い込まれている。その奥に、丸めた紙切れが押し込まれていた。印刷されていた言葉は、ペルシャ語で「タマム・シュッド(Tamám Shud)」。「終わった」「これで終わり」という意味である。専門家が調べると、この紙片は12世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの詩集『ルバイヤート(Rubáiyát of Omar Khayyám)』の、まさに最後のページから破り取られたものだと分かった。『ルバイヤート』は、人生のはかなさや、悔いなく今を生きることをうたった詩集として世界的に知られている。その最後の一語を、死に際に身につけていた男。この符合が、事件を単なる変死からミステリーへと押し上げた。警察はラジオや新聞を通じて、破られた側の『ルバイヤート』を探しているという呼びかけをおこなう。すると、思いがけない人物が名乗り出た。事件の少し前、自宅の前に停めていた鍵のかかっていない車の中に、見覚えのない一冊の『ルバイヤート』が放り込まれていた、という男性である。しかもその本は、最後のページの「タマム・シュッド」の部分が、きれいに破り取られていた。

誰にも解けない暗号

その一冊の『ルバイヤート』が、事件をさらに深い迷路へと導く。本の裏表紙には、鉛筆で書きなぐったような、アルファベットの羅列がうっすらと残っていた。いくつかの説を含めて広く知られている文字列は、およそこう読める。「WRGOABABD/MLIAOI/WTBIMPANETP/MLIABO AIAQC/ITTMTSAMSTGAB」。一見すると意味をなさない大文字の並びで、二行目には取り消し線のようなものが引かれている。オーストラリア海軍の暗号部門をはじめ、当時の一流の暗号解読者たちがこの文字列に挑んだ。だが、誰一人として解読できなかった。以後70年以上、プロの言語学者からコンピューターを駆使する現代のアマチュアまで、無数の人間がこの暗号に取り組んできたが、確定した答えは出ていない。有力な見方は、これは暗号そのものというより、英語の文章の各単語の頭文字を並べた「頭文字メモ」ではないか、というものだ。もしそうなら、元の文章が分からない限り、原理的に復元は難しい。そしてもう一つ、本の裏表紙には電話番号も書かれていた。番号をたどると、遺体発見現場から歩いて10分ほどの場所に住む、ジェシカ・トムソン(Jessica Thomson)という元看護師の女性に行き着いた。彼女は事件との関わりを否定したが、後年、その娘が「母は実はあの男性の正体を知っていたと思う」と語ったことで、謎はいっそう深くなる。ここから先は、確かな事実ではなく、諸説の領域に入っていく。

毒殺か、スパイか

では、この紳士はどうやって死んだのか。ここも、はっきりしていない。検死解剖では、脾臓が通常のおよそ3倍に腫れ、胃や内臓には強いうっ血が見られた。担当した病理医は「なにか毒物を盛られた可能性が高い」と考えた。症状の形が、自然死とは思えなかったからである。ところが、遺体からはどんな毒物も検出されなかった。当時の分析技術で見つけられないほど分解の速い毒――たとえばジギタリスのような植物由来の成分が使われたのではないか、という推測が立てられた。実際、1994年にヴィクトリア州の元最高裁長官ジョン・ハーバー・フィリップスがこの事件の証拠を検討し、死因はジギタリス中毒だろうと結論している(これはあくまで一つの見解である)。決定的な証拠がないまま、いくつもの仮説が生まれた。もっとも人気があるのが、冷戦下のスパイ説である。切り取られた服のラベル、解けない暗号、検出されない毒。第二次世界大戦が終わって間もない時期、しかも近くには軍の兵器実験場があった――こうした要素が組み合わさって、「彼は東側の工作員だったのではないか」という物語が広まった。魅力的な説ではあるが、これを裏づける物証は、いまのところ何一つ出ていない。あくまで「そう考えると筋が通る」という域を出ないことは、押さえておきたい。

デスマスクに残った髪の毛

身元不明のまま、この男性は1949年にアデレードの墓地に埋葬された。埋葬の前、後々の身元確認に備えて、彼の顔から石膏でデスマスク(顔の型)が作られている。この一手間が、半世紀以上のちに、事件を動かす鍵になった。2010年代、アデレード大学の物理学者デレク・アボット(Derek Abbott)が、この事件に長年のめり込んでいく。彼が目をつけたのが、デスマスクを作るときに石膏に巻き込まれた、わずかな髪の毛だった。髪の根元には、DNAが残っている可能性がある。アボットは、アメリカの著名な法科学系譜学者コリーン・フィッツパトリック(Colleen Fitzpatrick)と組んだ。凶悪事件の犯人特定にも使われる「遺伝子系譜(forensic genetic genealogy)」という手法である。これは、採取したDNAを一般に公開されている大規模なDNAデータベースと照合し、遠い親戚を見つけ出し、そこから巨大な家系図を組み上げて本人にたどり着く、という気の遠くなるような作業だ。父方と母方の両方でいとこにあたる人物が見つかり、二つの系統が一点で交わった。そして2022年7月26日、アボットは記者会見で告げる。サマートン・ビーチの紳士は、メルボルン出身の電気技師、カール・ウェブ(Carl "Charles" Webb)である、と。奇しくも今週は、その発表からちょうど3年にあたる。

名もなき紳士に、名前が戻った日

カール・ウェブとは、どんな人物だったのか。彼は1905年11月16日、メルボルンのフッツクレイで、6人きょうだいの末っ子として生まれた。職業は電気技師であり、精密な計器を作る職人でもあった。詩を好み、1941年にドロシー・ロバートソン(愛称ドフ)という女性と結婚したが、夫婦仲は次第に壊れ、1947年ごろに妻のもとを去っている。妻はその後、オーストラリア南部へ移り住んだ。夫を追ってサマートン・ビーチのあるアデレード方面に向かった――そう考えると、なぜ彼がこの浜辺にいたのかの説明がつくかもしれない。ただし、ここで強調しておかなければならないことがある。カール・ウェブという名前は、あくまでアボットの研究チームが遺伝子系譜から導き出した結論であり、南オーストラリア州警察による公式な確認は、いまも出ていない。そして名前が分かってもなお、最大の謎は解けていない。彼はなぜラベルを切り取り、名も告げずに死んだのか。あの暗号は何を意味するのか。どうやって、なぜ命を落としたのか。答えは、砂の中に残されたままである。それでも、この事件が残した教訓は小さくない。かつては迷宮入りするしかなかった身元不明の遺体が、いまでは一本の髪の毛と、公開データベースと、根気強い作業によって、名前を取り戻せる時代になった。同じ手法は、世界中で何十年も番号でしか呼ばれてこなかった人々に、少しずつ名前を返しはじめている。名もなき紳士に名前が戻るまで、74年。この長い時間そのものが、「人が一人、確かにこの世にいた」という事実の重さを、静かに物語っている。

出典・参考情報

  • [A] South Australia Police/Forensic Science South Australia 検死・身元確認関連記録(1948年〜)
  • [A] State Coroner of South Australia 検死記録(Somerton Man)
  • [B] Smithsonian Magazine「The Enduring Mystery of the Somerton Man」および「Have Scholars Finally Identified the Mysterious Somerton Man?」(2022年)
  • [B] CNN「Somerton man mystery 'solved' as DNA points to man's identity, professor claims」(2022年7月26日)
  • [B] BBC News「Somerton man: Body exhumed in bid to solve Australian mystery」(2021年5月)
  • [B] Derek Abbott/Colleen Fitzpatrick 遺伝子系譜による身元同定に関する研究発表(2022年)
  • [B] John Harber Phillips(元ヴィクトリア州最高裁長官)による死因分析=ジギタリス説(1994年)
  • [C] Cipher Mysteries/各種公開アーカイブによる暗号文字列の記録(諸説として参照)

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

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