人体・医学の怪

存在しない病名が世界に広まった――ストックホルム症候群、53年目の訂正

人体・医学の怪公開 2026年8月22日更新 2026年10月7日ザツレコ編集部
存在しない病名が世界に広まった――ストックホルム症候群、53年目の訂正

1973年8月23日、ストックホルムの銀行で6日間の人質事件が起きた。ここから生まれた「ストックホルム症候群」は、いまや世界中で使われている。ところがこの病名は、精神医学の診断マニュアルDSMに一度も載ったことがない。名付けた犯罪学者は人質の誰にも会っていない。そして「最初の患者」とされた女性は、53年にわたって「私は正気だった」と言い続けている。事実と解釈を分けて、この有名すぎる言葉の出自をたどる。

1973年8月23日、スウェーデンの首都ストックホルム。ノルマルム広場に面した銀行で、6日間の人質事件が起きた。この事件から「ストックホルム症候群」という言葉が生まれ、いまや世界中で使われている。人質が犯人に心を許してしまう、あの不思議な現象。ところが、である。この病名は精神医学の診断マニュアルに一度も載ったことがない。名付け親は人質に一度も話を聞いていない。そして「最初の患者」とされた女性は、半世紀にわたって「私は正気だった」と言い続けている。世界一有名な心の病は、どうやって生まれてしまったのか。

銀行に入ってきた、休暇中の囚人

事件を起こしたのはヤン・エリック・オルソン(Jan-Erik Olsson)。当時32歳、窃盗罪で服役中の受刑者だった。スウェーデンの刑務所には一時帰宅の制度があり、彼はその休暇から戻らずに姿を消していた。

1973年8月23日の午前、オルソンはサブマシンガンを持ってクレディットバンケン(Kreditbanken)ノルマルム広場支店に押し入る。天井に向けて発砲し、駆けつけた警察官の手を撃って負傷させた。もう一人の警察官には、椅子に座って歌を歌えと命じている。この時点ですでに、事件はどこかおかしな空気をまとっていた。

彼が取った人質は銀行員4人。ビルギッタ・ルンドブラード、エリザベス・オルドグレン、クリスティン・エンマルク、そして唯一の男性であるスヴェン・セーフストレム。要求は現金300万クローナ、拳銃2丁、防弾チョッキ、ヘルメット、そして逃走用のフォード・マスタング。もうひとつ、奇妙な要求があった。「クラーク・オロフソンを連れてこい」。

服役中の犯罪者が、現場に呼ばれる

クラーク・オロフソン(Clark Olofsson)はオルソンのかつての同房者で、スウェーデンでは名の知れた常習犯だった。16歳で最初の罪を犯して施設に送られ、19歳のときには強盗の現場で警察官を撃っている。当然ながら、このときも服役中である。

驚くべきことに、スウェーデン政府はこの要求をのんだ。法務大臣レンナート・ガイエルの判断で、オロフソンは刑務所から銀行へ連れてこられた。警察との交渉役、いわば通訳として使うためだ。服役囚を現場に投入するという判断は、いま見てもかなり大胆である。

そしてこの事件には、もうひとつ歴史的な側面があった。スウェーデンで初めてテレビ生中継された犯罪だったのだ。国民は6日間、金庫室の外側で起きていることを見続けた。この「全国民が同時に見ていた」という条件が、のちに言葉が広まる速度に効いてくる。

金庫室で過ごした、6日間

2人は銀行の奥にある金庫室に立てこもり、人質と一緒にバリケードを築いた。オロフソンは金庫室の中を歩き回りながら、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」を口ずさんでいたと記録されている。

一方でオルソンは、首相オロフ・パルメに直接電話をかけ、人質を殺すと告げた。脅しが本気であることを示すため、人質の一人を締め上げ、その悲鳴を受話器越しに聞かせてから電話を切っている。ここは誤解されがちだが、犯人が優しかったわけではない。人質は明確に生命の危険にさらされていた。

8月26日、警察は上階の部屋から金庫室の天井に穴を開け、人質とオロフソンが写った有名な写真を撮影する。オルソンはその穴に向けて2度発砲し、警察官の手と顔に傷を負わせた。8月28日、警察は催涙ガスを注入。約1時間後、2人は投降した。人質4人に永続的な負傷はなかった。オルソンは懲役10年。オロフソンは控訴審で無罪となっている。そのオロフソンも、2025年6月24日にスウェーデン西部のアルヴィカで78歳で亡くなった。

首相に電話をかけた、人質

この事件を世界的に有名にしたのは、犯人ではなく人質側の行動だった。

事件のさなか、人質のクリスティン・エンマルクが金庫室の電話で首相パルメと話している。当時23歳。あの2人はまったく怖くない、怖いのは警察が突入してくることだ――そうした趣旨を述べ、犯人と人質をまとめて車で行かせてほしいと訴えた。その通話の録音は、いまもスウェーデン公共放送に残っている。

外から見れば、これは異常に映る。人質が犯人の要求を代弁し、首相に楯突いている。解放後も、人質たちは犯人を非難せず、警察のやり方をこそ批判した。オロフソンは後にエンマルクと何度か会い、家族ぐるみの付き合いになったとも伝えられる。

こうして「人質は犯人に恋をした」という物語ができあがった。ただし、これはあくまで外部から観察された行動への解釈である。

名付け親は、人質に会っていない

「ノルマルム広場症候群(Norrmalmstorgssyndromet)」という言葉を作ったのは、犯罪学者で精神科医のニルス・ベイエロート(Nils Bejerot)である。これが英語圏で「ストックホルム症候群」と呼ばれるようになった。

ここが本題だ。ベイエロートは当時、警察側の顧問だった。そして——これは複数の検証記事が一致して指摘している点だが——彼は人質の誰にも直接の聞き取りをしていない。事件の最中にメディアの取材へ答える形で、この造語を口にした。人質のエンマルクとオルドグレンは、解放後もベイエロートとの面会を断ったと伝えられる。

つまり、警察の作戦を批判した人質の発言を、警察側のアドバイザーが「症状」と名付けたことになる。批判は病気ということにされ、批判された側は説明責任から解放された。この構図を問題視する研究者は少なくない。もっとも、ベイエロート本人にそこまでの意図があったかどうかは確認しようがなく、あくまで一つの見方である。

言葉が世界に広まったのは翌1974年、アメリカで新聞王の孫娘パトリシア・ハーストが誘拐され、やがて誘拐犯グループの銀行強盗に加わった事件がきっかけだった。この不可解な事件を説明する便利なラベルとして、スウェーデン発の造語が輸入されたのである。

診断マニュアルに、載っていない

では医学的にはどうなのか。ストックホルム症候群は、アメリカ精神医学会の診断マニュアルDSMに一度も収載されたことがない。最新のDSM-5にも、WHOのICDにもない。これは論争ではなく、単なる事実である。

数字も心もとない。FBIの人質・立てこもり事件データベース(HOBAS)の分析では、1200件以上の事件のうち、被害者の92%にストックホルム症候群的な要素は一切見られなかったとされる。警察への否定的感情だけを示した人まで含めても95%。つまり「起きないのが普通」なのだ。

そして「最初の患者」とされたクリスティン・エンマルクは、数十年にわたって同じことを言い続けている。犯人に好意など抱いていない。生き延びるために必要なことをしただけだ。警察を批判したのは、その戦術が本当に自分たちの命を危険にさらしたからだ、と。2023年にはオーストラリア公共放送のインタビューで、この物語は事実ではないと改めて語っている。

ただし、彼女は解放後しばらくしてからオロフソンに惹かれたことを隠していない。2015年のスウェーデン公共テレビの取材では、それを「あとから生まれた感情」と呼び、金庫室の中での振る舞いとは切り分けている。彼女はのちに心理の専門職に就き、同じ年に自分の体験を本にまとめた。

彼女の言い分に沿って読み直すと、金庫室の中の行動はすべて合理的に見えてくる。武装した相手と密室にいる人間が、相手を刺激せず、外部からの突入を望まないのは、恋ではなく計算である。ストックホルム大学のセシリア・オーセ教授も、人質たちは「きわめて合理的に行動した」と述べ、この症候群を「作られた概念」と呼んでいる。

この話から持ち帰れること

ノルマルム広場の事件そのものは、確定した事実として記録が豊富に残っている。日付、要求内容、負傷者、判決まで裏が取れる。争いがあるのは、その事実にどんな名前を付けたかという部分だ。

ひとつ言えるのは、専門家が付けた名前は強い、ということ。ベイエロートの造語は50年以上生き延び、映画にもドラマにも使われ、日常会話にまで入り込んだ。診断マニュアルに載っていなくても、社会は使い続ける。そして名前が付いた瞬間、当事者が何を言っても「それも症状ですね」で片づけられてしまう危うさがある。

もうひとつ。人質事件への対応は、この50年で確実に進歩した。犯人を刺激せず時間を稼ぐ交渉術は、いまや世界標準になっている。被害者の言葉を病理に還元せず、まず証言として聞く——それも同じ流れの中にある改善だろう。虐待やDVの文脈でこの言葉が安易に使われるとき、当事者の判断力を勝手に値引きしていないか、一度立ち止まる価値はある。

53年前のあの金庫室で何が起きたのか。犯人が何をしたかは記録に残っている。人質が何を感じたかは、本人が語っている。世界が信じてきたのは、そのどちらでもない第三者の見立てだった、という話である。

出典・参考情報

  • [A] The New York Times「Stockholm Police Seize 2 in Vault, Free 4 Hostages」(1973年8月29日)
  • [A] The New York Times「Stockholm Police Lock Gunman, Others in a Vault」(1973年8月26日)
  • [A] Sveriges Radio「クリスティン・エンマルクとオロフ・パルメの通話録音」(2015年10月5日公開)
  • [A] FBI Law Enforcement Bulletin「Placing the Stockholm Syndrome in Perspective」(HOBAS集計)
  • [A] American Psychiatric Association『DSM-5』(ストックホルム症候群の収載なし)
  • [B] The New Yorker「The Bank Drama」ダニエル・ラング(1974年11月25日号)
  • [B] ABC News(オーストラリア)「The woman behind Stockholm Syndrome says it is all a lie」(2023年8月23日)
  • [B] BBC News「What is Stockholm syndrome?」(2013年8月21日)
  • [B] Smithsonian Magazine「The Six-Day Hostage Standoff That Gave Rise to Stockholm Syndrome」
  • [B] Per Svensson『Dramat på Norrmalmstorg: 23 till 28 augusti 1973』(2016年)
  • [B] The Local Sweden「Stockholm syndrome bank robber Clark Olofsson dies aged 78」(2025年6月26日)
  • [B] The Local Sweden「Where does the term Stockholm syndrome really come from, and is it even true?」(2023年8月21日)
  • [B] SVT「Stockholmssyndromet ur gisslans perspektiv」(2015年9月23日)
  • [B] Sveriges Radio「Harder to kill a person who you have feelings for」(2013年8月)

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

改定ログ

  • 2026年10月4日:クラーク・オロフソンの死去(2025年6月24日)を追記。エンマルクとパルメの通話の日付を、資料によって食い違うため「事件のさなか」に改めた。オロフソンの経歴(16歳・19歳)を訂正。エンマルクの後年の発言、ベイエロートとの面会拒否、セシリア・オーセ教授の見解と、出典4件を追加。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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