未解決事件・失踪

教会で死んでいた「名もなき放浪者」に、44年ぶりに名前が戻った――鍵に刻まれた通りの名が導いた化学者は、タイレノール事件とつながるのか

未解決事件・失踪公開 2026年9月27日更新 2026年10月11日ザツレコ編集部
教会で死んでいた「名もなき放浪者」に、44年ぶりに名前が戻った――鍵に刻まれた通りの名が導いた化学者は、タイレノール事件とつながるのか

1982年12月、アイダホ州ボイシの教会で亡くなっていた身元不明の男性「アンノウン・ワンダラー」の名前が、2026年9月にわかった。鍵に手彫りされた通りの名前から化学者マシュー・ベトコウスキーにたどり着いた経緯と、同じ年のシカゴ・タイレノール事件との「つながり」とされるもの、つながらないものを整理する。

1982年12月4日の朝、アメリカ・アイダホ州の州都ボイシのカトリック教会で、一人の男性が亡くなっているのが見つかった。身分証はなく、持っていたのは現金と、偽名で署名されたタイプ打ちの手紙と、30本ほどの鍵だけだった。男性は「身元不明の放浪者」を意味する「アンノウン・ワンダラー」と刻まれた墓石の下に葬られ、そのまま43年あまりが過ぎた。2026年9月23日、地元の保安官事務所がついにその名前を発表した。そして同じ会見で、この男性を、同じ1982年の秋にシカゴで7人が亡くなった「タイレノール毒物混入事件」との関連で調べていると明かした。今回は、亡くなった人と、いまも犯人のわからない事件を扱う。面白がるためではなく、何が起きたのかを確かめ、そこから学ぶために振り返っていこう。

教会で見つかった、名前のない男

教会で見つかった、名前のない男

見つかった場所は、ボイシのセイクリッド・ハート・カトリック教会だ。男性は教会の中で息を引き取っていて、死因は青酸による中毒だった。自ら命を絶ったものと判断されている。

身元を示すものは何もなかった。封筒には100ドル札が19枚、合わせて1,900ドル。「ウィリアム・L・トゥーミー」と署名されたタイプ打ちの手紙があったが、この名前はのちに偽名だとわかる。ほかには二つの鍵束に通した30本ほどの鍵と、トルコ石と銀でできたボロタイ。アメリカ南西部でよく見る、ひも状のネクタイだ。

捜査は手を尽くした。指紋はアイダホ州のデータベースにも、FBIのデータベースにも一致しなかった。ボロタイは南西部の銀細工師までたどれたが、身元には届かなかった。男性はボイシ近郊のドライクリーク墓地に葬られ、墓石には名前の代わりに「アンノウン・ワンダラー」と刻まれた。1990年には人気番組『アンソルブド・ミステリーズ』がこの事件を取り上げ、数千件の情報が寄せられたが、決め手は出てこなかった。

44年目に捜査を動かした、一本の鍵

44年目に捜査を動かした、一本の鍵

事件が再び動き出したのは2019年だ。エイダ郡保安官事務所のティム・クーパー刑事が、古い証拠を一つずつ見直し始めた。目をつけたのは、30本ほどある鍵の一本だった。

その鍵には、作った店を示す刻印があった。たどると、フロリダ州ジャクソンビルの金物店に行き着いた。偶然にも、その店のかつての持ち主は元保安官補で、そこからジャクソンビルの未解決事件担当の刑事たちにつながった。さらに鍵には、鋭い道具で手彫りされた文字が残っていた。以前の捜査では読み違えられていたその文字は、ジャクソンビルの通りの名前「ミルズ・コート」だった。

刑事たちは、1970年代末から80年代初めにかけてのミルズ・コートの不動産登記を取り寄せ、そこに名前のある人を一人ずつ探した。その中に、1982年に行方不明として届けられ、1989年に法的に死亡と認定された男性がいた。1982年の時点では生きていたことになる。

その男性のたった一人の兄弟が、ロサンゼルスで存命だった。兄弟から提供されたDNAを、アンノウン・ワンダラーの財布から採ったDNAと比べると、兄弟関係であることが高い確率で示された。こうして、名前のない男は、マシュー・フランシス・ベトコウスキーという名前を取り戻した。有機化学の博士号を持つ化学者だった。

マシュー・ベトコウスキーという人

マシュー・ベトコウスキーという人

保安官事務所が明かした経歴は、ボイシの教会で亡くなった放浪者という印象とは大きく違っていた。

ベトコウスキーはロサンゼルスの名家の出身だ。祖父はロサンゼルス市議会の議長を務め、一時は市長代行にもなった。父親はロサンゼルス水道電力局の幹部だった。幼いころから化学と爆発物に強い関心を示し、大学時代には二つのドラッグストアで働いていた。

1974年、柵から落ちて頭に大きなけがを負う。以前からあった心の不調は、このけがのあとで悪化したとされる。1975年にジャクソンビルの香料会社へ就職したが、1978年に治療のためロサンゼルスへ戻り、職を失った。1979年に母親が亡くなると、フロリダの州立病院に1か月あまり入院している。

同じ1979年の終わり、ロッキード社に採用され、ニューメキシコ州のホワイトサンズ試験施設で、NASAの計画にかかわる仕事についた。しかし1982年3月、薬局で「実験のため」として薬を手に入れようとしてもめごとを起こし、解雇される。この年には父親も亡くなった。そして1982年10月15日、ニューメキシコ州ラスクルーセスの住まいから姿を消した。ボイシの教会で見つかるのは、その7週間後だ。

なお、心の病があったこと自体は、何かの罪の証拠にはならない。ここは分けて考える必要がある。

1982年の秋、シカゴで起きていたこと

1982年の秋、シカゴで起きていたこと

ベトコウスキーが姿を消す2週間あまり前、1982年9月29日から、シカゴ周辺で人が相次いで倒れた。原因は、店頭に並んでいた解熱鎮痛剤「タイレノール」のカプセルに混ぜられた毒物だった。最初に亡くなったのは12歳のメアリー・ケラーマン。同じ家族の3人を含む7人が命を落とした。

製造元のジョンソン・エンド・ジョンソンは10月5日、全米でおよそ3,100万本を回収した。捜査には15の機関が加わり、FBIの捜査官も26人投入された。

のちに、会社に100万ドルを要求する脅迫状を送ったジェームズ・ルイスが恐喝罪で有罪となったが、殺人では一度も起訴されていない。ルイスは無実を訴え続け、2023年7月に亡くなった。ほかにも疑われた人物はいたが、瓶から採取されたDNAと一致した人はいない。事件は2026年のいまも、法的には未解決のままだ。

「つながり」とされるものと、つながらないもの

「つながり」とされるものと、つながらないもの

では、保安官事務所は何を根拠に、ベトコウスキーをタイレノール事件と結びつけて調べているのか。会見と報道で示された材料は、次のようなものだ。

ジャクソンビルの香料会社の同僚は、1975年ごろ、彼が「完全犯罪」を話題にしていたと証言した。ロッキードの同僚も、1982年の初めに、市販薬のカプセルに毒を入れる方法を話していたのを覚えていた。2021年にロサンゼルスの実家を調べたところ、1970年代に描かれたとみられる手描きのシカゴの地図と、1981年12月にシカゴ周辺で撮られた本人の写真、そして青酸と書かれた小瓶が見つかった。

一方で、つながらない点もはっきりしている。小瓶の中身はシアン化ナトリウムで、シカゴの事件で使われたシアン化カリウムとは別の物質だった。写真は1981年12月のもので、事件の起きた1982年9月の最後の週に、彼がシカゴにいたことは確認できていない。

クーパー刑事はこう話している。「44年前の薬局の通路に、彼の靴があったとは言えない。だが、彼の言葉や行動を無視することもできない」。保安官事務所は、彼を容疑者とは呼んでいない。FBIシカゴ支局は「この44年間、タイレノール事件との関連を主張する声は何度もあったが、いずれも裏付けられていない」とする声明を出した。シカゴ市警と、事件の起きたアーリントンハイツの警察は、送られた資料を検討しているとだけ述べている。

犠牲者メアリー・ライナーの娘は、「アンノウン・ワンダラーは、どこからともなく出てきた名前ではない」と語った。確かなのは身元が判明したことまでで、事件との関係は、いまのところ「調べる価値のある可能性」の段階にとどまっている。

この事件から学べること

この事件から学べること

一つ目は、ありふれた証拠が持つ力だ。44年間、DNAの技術がどれだけ進んでも、比べる相手が見つからなければ身元はわからなかった。道を開いたのは、一本の鍵の刻印と、読み違えられていた手彫りの文字と、古い登記簿を一件ずつ当たる地道な作業だった。

二つ目は、名前を出すことの重さだ。タイレノール事件では、脅迫状を送ったルイスが長く「犯人」のように扱われたが、殺人の証拠は最後まで出なかった。今回の発表で、捜査当局が「容疑者ではない」と繰り返しているのは、同じあやまちを避けるためでもある。

三つ目は、あの事件が私たちの暮らしを変えたことだ。薬の瓶の口に貼られたアルミの封や、開けたら元に戻らない包装は、1982年のあとに広まった。1983年には、商品への毒物混入を連邦の犯罪とする法律もできた。

そしてもう一つ。ベトコウスキーは、けがと心の病と、家族との別れが重なった末に、ひとりで亡くなった。もしいま、つらさを抱えている人がいたら、ひとりで抱え込まずに、身近な人や相談窓口に話してほしい。

まとめ

ボイシの教会で亡くなった名前のない男は、44年目にマシュー・ベトコウスキーという化学者だとわかった。鍵に刻まれた通りの名前が、最後の扉を開けた。

けれど、タイレノール事件とのつながりは、まだ証明されていない。彼をシカゴの薬局の通路に立たせる証拠はなく、毒物の種類も違う。一方で、同僚たちの記憶や、実家に残されていた地図と写真を、ただの偶然と片づけることもできない。7人の命を奪った事件の答えは、今回もまだ出ていない。確かなのは、ドライクリーク墓地の墓石に、ようやく本当の名前を刻めるようになったということだ。

出典・参考情報

  • [A] エイダ郡保安官事務所(アイダホ州)記者会見「アンノウン・ワンダラー」の身元判明の発表(2026年9月23日)
  • [B] NBC News「Idaho officials identify 1982 suicide victim, seek potential connection to Tylenol murders」(2026年9月)
  • [B] CBS News Chicago「Boise's "Unknown Wanderer" is identified after 43 years. Could he be linked to Chicago Tylenol murders?」(2026年9月)
  • [B] ABC7 Chicago「Dr. Mathew Francis Betkouski: Idaho cold case leads detectives to 1982 Tylenol murders」(2026年9月23日)
  • [B] BoiseDev「Boise's 'Unknown Wanderer' identified; ties to Tylenol killings unclear」(2026年9月24日)
  • [B] The Spokesman-Review「Idaho officials solved a 1982 cold case that may have a connection to the infamous 1982 'Tylenol murders'」(2026年9月23日)
  • [B] News4JAX「Jacksonville connection helps crack 40-year mystery with possible ties to Tylenol murders」(2026年9月23日)
  • [B] Newsweek「Who Was Dr. Mathew Betkouski? Man Linked to Unsolved 1982 Tylenol Murders」(2026年9月)
  • [C] Wikipedia(英語版)「Chicago Tylenol murders」(2026年9月閲覧)

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

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