古代文明・遺跡の謎

掘れば遊び道具が出てくる町――四千六百年前の「焼けた町」から、また新しいゲーム盤が出た

古代文明・遺跡の謎公開 2026年9月9日更新 2026年10月26日ザツレコ編集部
掘れば遊び道具が出てくる町――四千六百年前の「焼けた町」から、また新しいゲーム盤が出た

イラン南東部の砂漠にある五千年前の都市シャフレ・ソフテ、通称「焼けた町」。2026年9月8日、二十一回目の発掘調査で四千六百年前のボードゲームの盤と、彫刻の入った骨の櫛が出土したと公表された。この町からはこれまでに、世界最古級の金の義眼、山羊が跳ねる連続画の杯、そして墓に副葬された世界最古の完全なゲーム一式が出ている。一方で、城壁も大量の武器も出ていない。掘るたびに遊び道具が出てくる、青銅器時代の都市の話。

イランの南東の端、アフガニスタンとの国境に近い砂漠に、五千年前の都市の跡がある。現地の名はシャフレ・ソフテ。訳せば「焼けた町」だ。2026年9月8日、この遺跡の二十一回目の発掘調査を率いるチームが、新しい出土品を公表した。四千六百年前のボードゲームの盤と、彫刻の入った骨の櫛である。世界がひっくり返るような発見ではない。ただ、この町からこれまでに出てきたものを並べてみると、少し落ち着かない気分になる。金で覆われた義眼。山羊が跳ねる連続画を描いた杯。頭に穴を開けられた少女の骨。そして、遊びの道具。武器はほとんど出ない。今日はその、砂漠の下から遊び道具ばかりが出てくる町の話をする。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていこう。

砂漠のまん中にある、200ヘクタールの町

シャフレ・ソフテはイランのスィースターン・バルーチェスターン州にあり、いまはただの砂と土の丘に見える。だが遺跡の広がりはおよそ200ヘクタール、建物が建っていた範囲だけでも120ヘクタールあり、青銅器時代の都市としてはかなり大きい部類に入る。

町ができたのは紀元前3550年ごろ。紀元前2300年ごろに人がいなくなるまで、千二百年以上つづいた。当時この一帯は、今のような砂漠ではなかった。すぐそばをヘルマンド川が流れ、下流のハームーン湖はいまよりずっと広く、周囲には湿地が広がっていた。水があったから人が住み、水が引いたから町が終わった、というのが大まかな筋書きである。

位置も効いている。ここは中央アジアとインダス川流域とメソポタミアを結ぶ交易路の結び目にあたる。出土品にはインダス由来の品もメソポタミア由来の品も混じっていて、この町が孤立した田舎ではなく、当時の世界の物流の上に乗っていたことが分かる。2014年にユネスコの世界遺産に登録された。

なぜ「焼けた町」と呼ばれているのか

名前の由来はそのままで、この町は何度も火事で焼けている。発掘すると、壁の漆喰が焼けて変色し、部屋が灰で埋まり、屋根の梁が炭になって落ちている層が出てくる。紀元前3000年ごろの大きな焼失がとくにはっきり残っていて、後の時代の住民は、その焼け跡の上に新しい町を建て直した。

ここで少し注意したい。「焼けた町」と聞くと、戦争で攻め落とされて燃やされた光景を思い浮かべたくなる。だが、それを裏づける証拠はあまり出ていない。防御のための城壁が見つかっておらず、武器の出土も乏しい。焼けた層は複数あるものの、虐殺の跡や、戦闘で死んだ人をまとめて埋めたような墓は確認されていない。

だから火事の原因は、いまのところ分かっていない、と言うのが正確だ。日干し煉瓦と木の梁でできた家が密集し、日常的に火を使っていれば、事故として大きく燃えることは十分にありうる。攻められて焼かれたのか、うっかり燃えたのか。名前だけが残って、理由は残らなかった。

1977年の墓から、世界最古の完全なゲーム盤が出た

この町が盤ゲームの世界で有名になったのは、1977年のことである。イタリアの調査隊が731号墓と呼ばれる墓を掘ったとき、木でできた盤と、そこに付属する駒と賽が、ひとそろい揃った状態で出てきた。年代はおよそ紀元前2600年から2400年。駒は二十七個あり、賽も複数含まれていた。

何がすごいのかというと、「完全なセット」であることだ。古代の盤ゲームは、盤だけ、駒だけ、という形で出土することが多く、遊び方を推測する材料が足りないまま博物館に並ぶ。ところがシャフレ・ソフテの一式は、遊ぶのに必要なものが墓の中で一緒に見つかった。同じころのメソポタミアで知られる「ウルの王朝のゲーム」と比較され、二十のマスを使う系統のゲームとしては最古の完品とされている。

盤は蛇がとぐろを巻いた形に彫られている。副葬品として墓に納められていたということは、この遊びが単なる暇つぶし以上の意味を持っていた可能性がある。死者に持たせてやりたいものだった、ということだ。2024年には、研究者たちが残された盤と駒からルールを復元する試みを発表している。ただしこれは復元の案であって、当時そのとおりに遊ばれていた確証まではない。

金の目と、跳ねる山羊と、頭を開かれた少女

シャフレ・ソフテの出土品には、ほかにも変わったものが多い。

2006年12月、墓から女性の骨とともに、直径2.5センチほどの半球形の物体が出てきた。天然のアスファルトを練って形を作り、表面を薄い金で覆い、細い金線で虹彩の放射状の線を描いてある。両側に小さな穴があり、そこに通した糸で瞼に留めていたと考えられている。義眼である。年代は紀元前2900年から2800年ごろ。骨のほうに、長く装着していたことを示す痕跡が残っていたと報告されている。世界最古級の義眼として知られる。

もう一つは杯だ。紀元前3100年代のものとされる素焼きの杯の側面に、山羊が五つ描かれている。長らく別々の絵だと思われていたが、順に並べて見ると、一頭の山羊が木に向かって跳び上がり、葉を食べるまでの動作を分解した連続画になっていた。回して見れば、動いて見える。「世界最古のアニメーション」と呼ばれることがあるのはこのためだ。ただし、当時の人が回転させて動きを見るつもりで描いたのかどうかは分からない。装飾の反復が、たまたま連続して見えるだけ、という読み方もできる。

そして骨がある。この町の墓地からは、頭蓋骨に穴を開けられた人の骨が見つかっている。よく知られているのは十三歳前後の少女の例で、水頭症の症状があり、頭頂部に小さな穴が開けられていた。穴の縁に骨が再生した跡がないことから、施術の直後に亡くなったと見られている。細かい記述は資料によって幅があるが、この地域で古い時代に頭蓋を開ける処置が行われていたこと自体は、複数の報告で共有されている。

2026年、二十一回目の調査で出てきたもの

そして今年である。2026年7月20日から始まった第二十一次発掘調査で、遺跡の北東部から、また盤ゲームが出た。

調査団長のロウホッラー・シーラーズィー(スィースターン・バルーチェスターン大学)によれば、これは紀元前三千年紀のもので、1977年の墓から出たものとは別の型に属する。つまりこの町の住民は、少なくとも二種類の異なる盤ゲームを持っていたことになる。ルールや形の詳細は、まだ公表されていない。

同時に、彫刻の入った骨の櫛も出た。シーラーズィーは、この地域ではまだ類例が知られていないと述べている。似たものは中央アジアの遺跡に見られるという。装飾の様式も、髪を整えるという行為そのものも、この町がどこと結びついていたのかを示す手がかりになる。

このほか、卵の殻、布の切れ端、革、動物の骨、石を加工したときの屑、動物をかたどった小像、炉の跡などが同じ層から出ている。布や革や卵の殻は、普通なら数千年ももたない。この町の乾いた土が、消えるはずのものを残した。北東部の区画には二つの建築段階があり、住まいでの家事と工房での手仕事が同じ空間で行われていたらしい、というのが現時点の見立てである。今後は放射性炭素による年代測定と、人骨のDNA分析が予定されている。

遊びの跡ばかりが残る町

並べてみると、この町から出てくるものには偏りがある。盤ゲームが二種類。装飾された櫛。義眼。連続画の杯。布と革と工房の跡。その一方で、城壁も、大量の武器も、王の名を刻んだ石碑も、支配者の巨大な墓も出てこない。

ここは慎重に言う必要がある。「武器が出ないから平和な町だった」と言い切るのは早い。遺跡の大部分は、まだ掘られていない。墓地だけでも二万五千から四万の墓があると推定されていて、掘られたのはそのごく一部にすぎない。出ていないものについて断定できることは、本来ほとんどない。

それでも、出てくるものの並びが当時の暮らしの手ざわりを伝えてくることは確かだ。誰かが盤を挟んで駒を動かし、誰かが櫛で髪を梳き、誰かが失った目のかわりに金で覆った義眼を入れて人前に出ていた。四千六百年前の砂漠の町で、そういう時間が流れていた。その痕跡だけが残っている。

まとめ

シャフレ・ソフテは、まだ二割ほどしか掘られていないと言われる。今回のボードゲームと骨の櫛は、その二割の中から出てきた、二十一回目の収穫である。

覚えておくと少しだけ得なのは、この町が「何度も焼けたのに、誰に焼かれたのか分からない」こと。「世界最古の完全なゲーム一式が、墓の副葬品として出た」こと。そして「今年また、それとは別の型のゲームが出た」こと。この三つだ。次に盤ゲームを前にして手持ち無沙汰になったら、四千六百年前のイランの砂漠で、同じように盤を挟んで座っていた誰かのことを思い出してもいい。人類はずいぶん昔から、同じことをして時間をつぶしている。

出典・参考情報

  • [A] スィースターン・バルーチェスターン大学 ロウホッラー・シーラーズィー 発掘調査団長 談話(シャフレ・ソフテ第21次調査、2026年)
  • [A] UNESCO World Heritage Centre「Shahr-i Sokhta」登録情報
  • [B] Archaeology Magazine「Bronze Age Game Board and Comb Uncovered in Iran's Burnt City」(2026年9月8日)
  • [B] Tehran Times「4,600-year-old board game, decorated bone comb unearthed at Burnt City in southeast Iran」(2026年9月)
  • [B] Arkeonews「A New Type of 4,600-Year-Old Board Game Discovered at Iran's Burnt City」(2026年9月)
  • [B] Iranian Journal of Public Health「First Skull Surgery in Iran: The Burned City and a 4800-Year-Old Skull」
  • [B] Open Culture「Behold the World's Oldest Animation Made on a Vase in Iran 5,200 Years Ago」

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