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一週間だけ実在した怪物 ジャージー・デビルと、1909年に東海岸を動かしたフェイクニュース

UMA・未確認生物公開 2026年8月6日更新 2026年10月25日ザツレコ編集部
一週間だけ実在した怪物 ジャージー・デビルと、1909年に東海岸を動かしたフェイクニュース

1909年1月、アメリカ東海岸を翼の生えた怪物の噂が駆けめぐり、学校が閉まり、農夫が散弾銃を持って森に入った。だが一週間で怪物は消える。見世物小屋で「捕獲」された正体は、緑の縞を塗ったカンガルーだった。さらに伝承の源流は、300年前のクエーカー教徒どうしの罵り合いにあった。事実・伝承・諸説を分けてたどる。

1909年1月、アメリカ東海岸のかなりの人が、翼の生えた怪物におびえて家から出なくなりました。学校は休みになり、工場に人が集まらず、農夫たちは散弾銃を持って森へ入った。新聞は連日その姿を報じ、フィラデルフィア動物園が懸賞金一万ドルを出したとまで書かれます。ところが、その一週間が終わると、怪物はぱたりと現れなくなった。今日はこの「一週間だけ実在した怪物」、ジャージー・デビル(Jersey Devil)の話です。結論を先に言ってしまうと、この怪物を作ったのは自然でも悪魔でもありません。印刷機です。あっても無くても人生に影響しない、極上のムダ知識をインストールしていきましょう。

一週間だけ、怪物は実在した

まず、確認できる事実から。1909年1月16日ごろ、アメリカ・ニュージャージー州南部で、雪の上に奇妙な足跡が見つかったという報道が出ます。二つに割れた蹄のような形で、畑を横切り、柵の下をくぐり、今度は柵を越え、あげくに家の屋根の上まで続いていた、と。

話はデラウェア川を渡って一気に広がりました。ニュージャージーのトレントンからデラウェア湾まで、対岸のフィラデルフィアやカムデンといった大都市まで。ペットや鶏が殺されたという記事が出て、目撃談が出る。1月21日、フィラデルフィア・インクワイアラー紙は一面に「なんだこれは、南ジャージー全域に出現」という見出しと、「この奇妙な生き物の足跡の実物写真」を載せました。バーリントン市では「ほとんどすべての街区」で蹄の跡が見つかり、「パニック寸前の状態」だと。猟犬は足跡をたどるのを拒み、毛を逆立てて家へ逃げ帰った。散弾銃を持った農夫の一団が四マイル近く跡を追ったが、足跡は「忽然と消えた」。

ところが証言を並べてみると、すぐに妙なことに気づきます。姿かたちがまるで一致しないのです。体長は九十センチ、いや三メートル。頭は馬のよう、いやコリー犬のよう。二本足で鶴のように歩く、いやカンガルーのように跳ねる。翼がある。目が燃えている。火を吐く。名前すら定まっていなくて、当時の新聞は「ウォズル・バグ」「ジョバーウォック」などと好き勝手に呼んでいました。

これは目撃の記録というより、「みんなが何かを見たがっている状態」の記録に近い。そして、そういう状態を意図的に作れる人間が、当時のフィラデルフィアに一人いました。

母リーズの十三番目の子

騒ぎのさなか、新聞各紙がそろって持ち出したのが、地元の古い言い伝えでした。「南ジャージーの年寄りたちは、これはリーズの悪魔(Leeds Devil)だと言っている」。当時の記事はどれもそう書いています。

伝承の中身はこうです。18世紀、ニュージャージーの深い松林——パイン・バレンズ(Pine Barrens)に、リーズという名の女性が住んでいた。すでに十二人の子を産んでいた彼女は、十三人目を身ごもったとき、うんざりしてこう口走った。「この子は悪魔でいい」。生まれた子はその場で翼の生えた化け物に変わり、産婆を殺し、煙突から飛び去って、以後パイン・バレンズをさまよい続けている——。

ここは伝承と創作の領域です。「母リーズ」という個人を特定できる史料はありませんし、当然ながら十三番目の子が飛び去った記録もありません。ただ、この物語が19世紀より前から南ジャージーで語られていたこと自体は事実で、そこには後で見るような、かなり生々しい理由がありました。

そして1909年の新聞は、この古い伝承を、雪の上の足跡というホットなニュースにつなげた。読者は「昔から聞いていたあの話が、いま起きている」と感じます。作り話がよく効くのは、まったくの新品のときではなく、みんながうっすら知っている型にはまったときなんですね。

「オーストラリアの吸血鬼」が逃げ出した

1909年1月22日、インクワイアラー紙の二面に、こんな見出しが出ます。「吸血鬼が逃走中、ジャージーよ気をつけろ」。小見出しはさらに親切で、「オーストラリアの珍獣、カンガルーとコウモリの合いの子、謎の失踪」。

どこから、いつ逃げたのかは書いていない。ただ「逃げた」とだけ書いてある。そのうえで、南ジャージー各地での遭遇談がずらりと並ぶ。

ここで初めて、怪物に「正体らしきもの」が与えられました。悪魔でも幽霊でもなく、逃げ出した見世物の動物である、と。つまり、捕まえられる存在になったわけです。

翌1月23日、同紙は報じます。狩猟隊がフィラデルフィアのフェアマウント公園で、ついに怪物を「捕獲」した。記事によればそれは「カンガルーとオーストラリアの水鳥の合いの子」で、「カンガウィング」という名前だという。もちろん、そんな生き物は存在しません。名前ごとその場で作られたものです。

そして1月24日。同じ新聞に、一本の広告が載ります。九番街とアーチ街にあった「ダイム・ミュージアム」——入場料十セントの見世物小屋です——が、「捕獲されたリーズの悪魔、公開」と打ったのです。追いかけ記事も出ました。何千人もの人が、鎖につながれ、いきり立つ怪物を見に押しかけた、と。

緑の縞を塗られたカンガルー

このダイム・ミュージアムの宣伝を長年担当していたのが、ノーマン・ジェフリーズ(Norman Jeffries)という男でした。もとフィラデルフィアの新聞記者で、当時は寄席まわりの宣伝マン。1909年の騒動の仕掛け人として、いまも歴史家が名前を挙げる人物です。

種明かしは本人がしています。何年もあとになって、ジェフリーズはこの一件を認めました。彼の死亡記事——インクワイアラー紙です——にはこうあります。「ジャージー・デビルが再び現れたという報せが彼の興行師の本能をかき立て、彼は宣伝マンのあらゆる技術を使って、その伝説への信仰を築き上げた」。

そして見世物小屋で鎖につながれていた「怪物」の正体も、同じ死亡記事に書いてあります。「巧妙に変装させられたカンガルー」。具体的には、緑の縞を塗り、はりぼての翼を貼りつけたカンガルーでした。

なぜこんなことが通用したのか。当時のジャーナリズムの事情を、インクワイアラー紙自身が後年の検証記事でこう説明しています。ひとつ、当時の報道基準はゆるく、記者はタダ飯や芝居のチケット、クリスマスの酒瓶と引き換えに、頼まれごとを記事にすることがあった。もうひとつ、競争が激しく、ライバル紙が載せた話には何としても追随した——たとえ真実を犠牲にしてでも。

つまりジェフリーズは、新聞をだましたというより、新聞と一緒に走ったわけです。ちなみにこの見世物小屋、歴史に残る大ヒットを飛ばしておきながら、騒動の数週間後には閉店しています。

悪魔の本当の父親

ここまでが1909年の話です。では、その前——伝承のほうは、どこから来たのか。

キーン大学の科学史研究者ブライアン・リーガル(Brian Regal)と、フランク・J・エスポジト(Frank J. Esposito)の研究が、この問いに一つの答えを出しています。二人によれば、ジャージー・デビルの起源は化け物ではなく、植民地時代の政治と、クエーカー教徒どうしの宗教対立にある。

主役はダニエル・リーズ(Daniel Leeds)という実在の人物です。17世紀後半にニュージャージーへ入植したクエーカー教徒で、暦(アルマナック)の出版で身を立てていました。ところが1688年、彼は『小宇宙のための知恵の神殿(The Temple of Wisdom for the Little World)』という本を出します。中身は天使、自然魔術、占星術、そして悪魔のふるまいについての記述でした。

クエーカーの仲間たちは激怒します。信仰的に許されない、と。リーズは反発し、ついにはクエーカーを離れて英国国教会に移り、かつての同胞を攻撃する小冊子を書きはじめます。

そして1700年、クエーカー側のケイレブ・ピューシーが反撃の小冊子を出す。タイトルが強烈で、『サタンの先触れ、迎え撃たれる——ダニエル・リーズへの回答として(Satan's Harbinger Encountered)』。要するに、リーズは悪魔の手先だ、と名指ししたわけです。

これが効きました。リーズ家は南ジャージーの有力な一族です。その一族に「悪魔」というレッテルが公然と貼られ、地元に定着していく。1716年、ダニエルが引退して息子タイタン・リーズ(Titan Leeds)が家業を継ぐと、タイタンは家紋を作り直し、そこに三頭の竜のような生き物を入れました。悪魔の紋章を掲げた一族、という絵がこうして完成します。

つまり「リーズの悪魔」は、はじめは生き物の名前ではなく、人間への悪口だった。

フランクリンが打った最後の一手

そこへ、もう一人が登場します。ベンジャミン・フランクリンです。

フランクリンは対岸のフィラデルフィアで、1733年に『貧しいリチャードの暦』を創刊しました。ライバルはもちろん、タイタン・リーズの暦です。

この創刊号で、フランクリンはとんでもないことをやります。占星術で計算したと称して、こう予告したのです。「わが友タイタン・リーズは、1733年10月17日午後3時29分、太陽と水星が合となるまさにその瞬間に死ぬであろう」。

もちろん冗談です。そしてその日が来ても、タイタン・リーズはぴんぴんしていた。

普通ならここで終わるところですが、フランクリンはやめませんでした。「リーズは確かに死んだ。いま彼の名前で暦を出しているのは、名を騙る何者かである」と主張しつづけたのです。生きている本人が怒って抗議すればするほど、読み物としては面白くなる。フランクリンはこれを、タイタン・リーズが実際に亡くなる1738年まで続けました。

読者から見れば、リーズという一族には「悪魔」の噂があり、当主は「死んでいるのに暦を出している」ことになっている。リーガルたちが指摘するのは、こうした積み重ねが、地域の悪口を土着の怪談へと押し上げていった、という筋道です。松林の奥で何かが飛んでいる——そんな話を語るときに使える「悪魔の一族」という下地が、ここで出来上がった。

ただし、これはリーガルとエスポジトが史料から組み立てた有力な仮説であって、「伝承の起源はここだ」と当時の誰かが書き残しているわけではありません。伝承の成立過程は、その性質上、決定的な証明が難しい領域です。

まとめ

整理します。事実として確認できるのは、1909年1月16日から23日にかけてデラウェア川流域で新聞発の大騒ぎが起き、学校が閉まり人々が家にこもったこと。目撃証言は無数にあるのに、姿かたちが一致しないこと。見世物小屋に出された「捕獲個体」は宣伝マンのノーマン・ジェフリーズが仕掛けたもので、正体は変装させたカンガルーだったこと。そしてそれを、新聞自身が彼の死亡記事という形で認めていること。

伝承のほうは、18世紀の「母リーズの十三番目の子」という物語として語られてきました。その源流にあるのは、おそらく実在のリーズ一族に貼られた「悪魔」という政治的なレッテルです。

面白いのは、ジャージー・デビルがそれで消えなかったことです。1982年、アイスホッケーNHLのニュージャージーのチームは、州民の投票でその名を選びました。ニュージャージー・デビルズ。作り話だと分かったあとも、州の顔として残ったわけです。

そして1909年の構造は、現代とほとんど同じです。あいまいな現象があり、みんながうっすら知っている型がある。誰かが「正体はこれだ」という一行を足す。競合するメディアが検証せずに追随する。信じたい人が証言を提供する。インターネットもSNSもない1909年に、この装置は一週間で数十万の人を動かしました。

怪物は森からは出てきません。だいたいの場合、印刷機から出てきます。

出典・参考情報

  • [A] The Philadelphia Inquirer「The Jersey Devil, the tale of a viral story from 110 years ago」(2019年1月23日)=1909年1月の同紙紙面(1月21日・22日・23日・24日)の再検証、ジェフリーズの死亡記事の引用を含む
  • [B] Brian Regal & Frank J. Esposito『The Secret History of the Jersey Devil: How Quakers, Hucksters, and Benjamin Franklin Created a Monster』Johns Hopkins University Press
  • [B] New Jersey Council for the Humanities「The Jersey Devil in Myth and History」=リーガル博士の講演解説
  • [B] Skeptical Inquirer「The Jersey Devil: The Real Story」
  • [A] Daniel Leeds『The Temple of Wisdom for the Little World』(1688年)/Caleb Pusey『Satan's Harbinger Encountered』(1700年)=いずれも現存する当時の刊行物
  • [A] Benjamin Franklin『Poor Richard's Almanack』1733年版=タイタン・リーズの死亡予告

信頼度 A=一次/公的、B=定評メディア・専門書、C=個人発信。事実・証言・諸説を区別して記載。

この記事は事実と説・伝承を区別して記述しています。

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